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7月東京生活①

7月になり、平日は昼を最低限で済ますようになってしまい(母からのありがたき世田谷食品の蓄えを切り崩し)、何よりも徒歩5〜15分を必要とする喫煙(コロナ期に徒歩圏内の喫煙所が二箇所閉鎖)がなくなってから、夜まで家を出ない生活が続きがち。その間、雨はよく降っていて、軒下に響くパラパラもあれば、窓を叩く豪風雨も数えられるほどあった。梅雨は、6月のものでなくなり、台風は、9月のものではなくなり、暑さのはじまりは、梅雨明けを気にしない、「季節」が揺れていく。

特にこの一週間ほどは室内の裸足も冷えて、風呂を沸かして入ることへのめんどうさが薄まる。それとは別に、早く眠りたくて溜めたままの風呂を待たせてしまうことも多いけれどーー。

これまでSNSを活用してきた、構造を気にしない文体を書きならしてやるためと記録のためのnoteだったが、全くまめな継続にはならない。生活が忙しいわけではなく、ここにきて、在宅勤務時の仕事への切れ目のなさに疲れてきて、仕事から離れるときにPCからも離れたい身体が、少し痛む指が、あって、というのが理由だろうかしら。たぶん他にも理由はあって、それは後々出てくるといいけれど。

特に前半は映画を3本ほど見たかもしれない。いや、見た。映画館は空いていて、シネコンでこの空き状況だと動くのも苦しいからだなのはわかるけれど、人の密集をもとから避けてしまう身としては、必ず隣に人が座らないというのはありがたく思ってしまう。

日々、というのは1日単位ではなく、はやりすたりもありながら個人的感情は浮き沈みしつつ朝夜を繰り返すけれど、日はかたまって、時間は切り刻んで、去ってゆく。もう7月なんだという実感がないせいで、見えてくる年末への感慨も少ない。

面と向かって嫌なことを言ってくる人って、なかなかいない生活だった。というより、避けられる生活だったというのが正しいのか、と思うが、関係を細くも結ばざるを得ないバイト先の人とか、バイト先の人とか、大家とか・・とここまできて、もしかしたら関わる人の距離感の違う人たちのしゅるい自体少なかったんじゃないの、と思うけれど、ともあれ。まあ嫌なことを言う人は嫌なことを言ってくるまでで、なんというか、相手を不快にさせるという目的なしに嫌なことを言ってしまうような人は少なかったように思う。こうやって、不満を書き出した途端滑る痛い指が悲しい。悲しいのは、むかつくとき。それよりも今日むかついたのは、明らかにおかしいことを言い、それに賛同しているいわゆる上司に対して、私が不満がりながらもありがとうございますと言ったこと。これは昨日の話だけど、今日になって、ありがとうございますはないだろうと、これは自分への怒り。なので悲しくはない。

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