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皮膚が剥がれ落ちて。


夜。
「運動不足になるなこりゃ」と、マスクしてイヤホンをはめて散歩に出かけた。30分程度で切り上げようと思ってたのに、気づいたら3倍の時間がすぎていた。

高校生から大学生の頃は、ドアトゥドアで1時間の移動があって、その間ずっと音楽を聴いていた。なにも考えずに、ただ音と詩に耳を傾ける時間。いまはもう、あまりない時間。

散歩の間は、久しぶりに音楽に没頭できた。なんとなく選んで聴いていた、yonigeのミニアルバム・『HOUSE』。そこから飛び出してきた“リボルバー”という曲の一節に、「あぁ、わかるなぁ」と、春のうっすら寒い空気の中でため息をついた。

君に会わなくたってどっかで息してるなら
それでいいななんて思って煙を吐いてる


6年以上付き合った人と別れたとき、同じようなことを思った。近くにいることはなくなるけど、それなりに元気にすごしていることが時々、なんとなく分かるならもうそれでいいやと。

最後の2年はもう、相手に気持ちがないことを感じながらも「別れよう」、「別れてください」のひとことを言う勇気が持てずにだらだら付き合いつづけていた。本当に苦しかった。

離れるときはそのときで、相手とくっついていた自分の皮膚が、ひと息に剥がされるような残酷な心地がした。痛くて仕方なかった。でも同時に「やっと終わった」とも思った。安堵にも近い感情。


古い皮が剥がれ落ちて1年以上経った。
血がにじんだり、じゅくじゅくに膿んだり、かさぶたができては自分でひっかいて剥がしてしまったり、だれかにつつかれたり、それはもう、最初の半年くらいはいろいろボロボロだった。

胸をかきむしりたくなって泣いた夜もたくさんあった。死にたくなって友達に「失恋つらい」とLINEしたこともあった。私はよっぽど追い詰められない限り明確な言葉を発しないタイプなので、相当しんどかったんだろう。いま思うとちょっと笑えるけど。

1年も経てば、恋人がいない日常がふつうになってくれた。剥がれた皮膚は元どおりにはなっていないけど、それなりに「元」の雰囲気を醸している。

ひとりでもめちゃくちゃたのしい。推しを愛で、音楽とライブと映画のある、私だけの毎日。だからさみしいとは感じない。それが逆に、最近はこわくなってきている。私、めちゃめちゃ冷たい人間なのかも、なんて。


君が隣にいた日々は大切だったけど、もうだいたいのことは忘れてしまった。それでも私は生きている。君もどっかで息してるんでしょう? ならそれで十分だな。


いまだにTwitterでつながってるから、noteにこっそり書いている。バレるかな。それはやだな。



最後まで読んでくれて、ありがとうございます!