言葉にして自分の中に落とし込む、って難しい

ふと思い出したことがある。
小学生の頃、たくさんの親戚が集まる食事会に急に連れて行かれ、見知らぬ大勢の大人から「あら〜スミスちゃん、久しぶり。こんなに大きくなったのねえ〜」と口々に言われ、気づいたらギャン泣きしまったこと。家に帰って親に怒られたこと。「急に泣いたら相手もびっくりするし、失礼でしょう」とたしなめられた気がする。当時の私は、自分がなんで泣いたのかよくわからなかったし、怒られるのつらいし、でも怒られる理由はわかるし、自分が恥ずかしいし、ていうか親戚に会わされたときからそもそも“なんかすごくイヤ”だった。

私は関西人でない父と母との間に、大阪で生まれた。父が社会人になって最初の勤務地が大阪だった、ただそれだけの理由で。育つ間に、親の仕事の都合で東京の学校に転校したり、大阪に戻ってきたりした。父と母、どちらの出身地でもない関西での生活がいちばん長く、なので「親戚付き合い」というものをほとんどしたことがない。会っても年に1度どちらかの親(祖父母)に会うのが精一杯である。

なんだけれど、父の地元の東京に住んでいた頃は、たま〜〜〜にあったのだ。冒頭のように、誰なのか知らない謎の親戚に会うというイベントが。しかもなぜか海外を拠点にしている人が割と(?)いて、「一時帰国のタイミングだから!」みたいな理由で急に会わされるのであった(この事実関係のあやふやさよ笑)。

都会に暮らし、縁もゆかりもない土地で育ち、転校も重なり、根無し草として生きてきた私の人間関係はかなり希薄である(それはいまも)。大所帯が苦手で、いまでも4人以上の人と飲みに行くのは正直言って苦痛だ。そんな私が、小学生の時分に、急に大勢の大人と顔を突き合わされるのである。こちらは誰も知らなくて警戒心がフル稼働なのに、向こうは私のことを知っていて馴れ馴れしく接してくる。恐怖以外の何者でもない。

そう、私はこわかったのだ。

いまになって思う。得体の知れない人(ひどい笑)に囲まれたのがこわくて、知っているような態度を取られたのが不愉快で、居心地が悪くて、いまにも逃げ出したかったのだ。言葉にできないから、うまく表現できずに泣くしかなかった。当時は子どもだったからまだよかった。でも、正直いまでもこういうことはよくある。

何かいやなことが起きたとき、予想してなかったことが降りかかってきたとき、「あ、なんかわからんけどやだな」、と感じたとき、正確に言葉にして理解して、その瞬間に立ち向かっていける人ってどれくらいいるんだろう。私は理解するまでにいつもものすごい時差があって、「あぁ、不快だったんだな」「こわかったんだな」「バカにされた気分になったんだな」と、自分が何か瞬間的に反応したことに対して、あとで理由を知る。泣いたあとに、拒絶したあとに、怒ったあとに。

そんな私を見て、「すぐに感情的になるのは損だよ!」と言ってくれる人が人生の節目節目にいた。高校生の頃はこういう私の態度を真剣に怒ってくれる子がいて、「そうだよなぁ」と深く反省もしたのだけれど(いまでも頻繁に彼女の言葉を思い出すから、とても大切な存在だったなと思う)、自分の感情を言語化して、咀嚼して落とし込んで、理論立ててきちんと相手に伝えるって、本当に骨の折れる作業なんだよね。みんなどうしてるんだろう。ある程度、自分の感情の法則を見つけて、事前に作戦を練っておくしかないんだろうか。私は練っていてもその場の衝撃にやれて対峙できないことの方が多い。刺激物に弱いんだろうか。

時間があればいくらでも考えられるのになぁと思う。
考えて、あとでちゃんと伝えられるのにと。

生きている間中、堂々巡りのように同じことでずっと悩み続けるんだろうか。それは成長していないようでいやだなぁと思う。自分とは向き合いたくないけれど、思い出して、書いて、吐いて、捨てて成仏させるしかないのかなぁ。あ〜、やだ〜〜〜。ね。




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