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「ガールズエンパワメントな作品」にちょっと疲れてしまった話


先日8日の国際女性デーにNetflixオリジナル映画・『モキシー 〜私たちのムーブメント〜』を鑑賞した。

<あらすじ>
学校での性差別や不公平な現状にうんざりしているシャイな女子高校生・ヴィヴィアン。かつては反骨精神旺盛だった母と、嫌がらせに負けない転校生ルーシーに感化され、彼女は校内の性差別を非難する冊子「モキシー」を匿名で作ることに。これが学校中で大反響を呼び、ついには革命を引き起こすことになる。(出典:映画ナタリー


こういう、いわゆる「ガールズエンパワメント」な作品は、個人的に関心が高いし勇気づけられるから、自らすすんでよく観るんだけど(国際女性デーに合わせてわざわざ観たくらいですから)……。

なんというか、最近はちょっともうおなかいっぱいかも……。だって、めちゃめちゃしんどいんやもん……。
と思ってしまった。あんなに好きだったのに……(いや、いまも好きだけど)。

なぜって、エンパワメントを描くにはまず「逆境」がないと成り立たないから。つまり、必然的に胸くそ激イラシーンを見せつけられなければならないのだ。普段の生活でもう十分経験しているのに。


劇中、イライラしすぎて血反吐出るかと思ったシーンがいくつかある。もっとも自身の体験に近かったのは、転校生のルーシーが、「男子生徒からいやがらせを受けている」と校長に相談を持ちかけるところにあった。

彼女からの相談を受けても、校長(女性!)は、「いやがらせと表現したら、ことが複雑になる。男子生徒から構われているだけでしょ? そう、構われてるだけ」と、まじめに取り合ってくれない。ルーシーは、フットボールチームの主将で花形選手の白人男子生徒・ミッチェルから、明らかないやがらせをされていたのに。

転校早々目をつけられて絡まれ、彼女が強気でそれを跳ねつけようとすると、「調子に乗るな」と暴言を吐いたり、暴力的な振る舞いで行動を制限したり(ルーシーが自販機で買ったジュースを横取りし、自分の唾液を入れて押し返したところでは、まじで悲鳴が出るかと思った)。

こういう悪質な行動を「あなたを思っての行動だよ」、「あなたのことが好きだけど、素直に言えないから意地悪しちゃうんだよ」みたいに矮小化される経験は、私にも多々あった。この悔しさがきちんと伝わらないのはなぜだろう。相談先が男性の場合もそうだけれど、劇中の「女性校長」のような振る舞いをする女の人も多かった(自分の母親とか)。

こちとら「力さえあれば、相手に手ェ突っ込んで奥歯ガッタガタ言わしたんのにな」くらいの憎しみを抱いているというのに。


こんなにつらい思いをするのに、じゃあなんのためにこういう作品があるのかって。もちろんいちばんはやっぱり、いままでこういう作品に触れてこなかった女の子たちのためだろう。知って、気づいて、声を上げたら、連帯するきっかけになるだろうから。常に新しいものが数多く出てくることに意義があると思う。

けれど、フェミニズム映画は本当は「男性」こそ観るべきなんだと思う。

※ カギカッコ付きの「男性」は、性別が男性かどうかはあまり関係なくて、「トキシックマスキュリニティ(有害な男らしさ)」を持っているかどうかによる。女性でもそういう考え方を内包している人はいる。そういう女性を「名誉男性」と表現することも。

なにが私たちにとって脅威なのか、悔しくてたまらないことなのか。軽い気持ちでしているそれが、本当に「軽いこと」で済んでいるのか。ぜひ知ってほしい。身に覚えがあるものが映っていたら、死にたくなるかもしれないけれど。

と、偉そうに言う私自身も、昔は「名誉男性」然と振る舞って、友達を傷つけたことがあった。本当に最低だ。女性学の書籍に触れて「名誉男性」という言葉を知ったとき、過去の愚かな自分の姿を思い出しては、叫びたくなる夜が増えた。両手で数えても足りないくらいに。本当に恥ずかしくてたまらない……。でも同じことを繰り返さないようにすることはできる……。だから、知ることは大切なのだ。


ここで言いたいのは、「しんどい『モキシー』は最低の作品だった」ということではない。怒りと悔しさと希望に満ち溢れた、超超パワフルな映画だった。だから余計に圧倒されてしまって、「あぁ、実はつかれてたんだな……」ってことに気づいたのかもしれない。

よかった点もいろいろあるが、映画を通して「さまざまな女の子」が描かれていたところに注目したい。同じ「女の子」でも、当たり前だがすべてが同じ人はいない。出自や家庭環境、人種によって、受ける差別の種類や度合いも異なる。取れる行動も変わる。

とあるシーンで、主人公のヴィヴィアンに向かって「白人のあんたにはわからないよ」と吐露した中国系の親友・クラウディアのセリフなんかは、そういう「(本来分かり合えるはずの)女同士の中にある見えない壁」もよく表していたと思う。

超すてきだったのは、主人公のボーイフレンド・セスの描かれ方だ。イマココの状況から見ると、あまりのスマートさにその存在をやや訝しんでもしまうけれど。でも、フェミニズムに共感し、そっと(そう、あくまでそっと)支えてくれる「イマドキの理想の彼氏像」が詰まっていた。演じるのは日系アメリカ人俳優のニコ・ヒラガくん。映画・『ブックスマート』にも出演していた、あのスケボー・ボーイだ。

セスがなぜそこまで寄り添えるようになったのか、大人の都合(≒時間の制約)で描かれていなかったのが少し残念だった。むしろそこが知りたかったよ。


しんどい、つかれた、とか言ったけど、こんな感じで心の底をグッと掴まれてしまうシーンもたくさんあった。若かりし頃の自分が言葉にできず声に出せなかったことを、主人公たちに代弁してもらっているような気持ちにもなったし。終始ぽろぽろ泣いてしまった。

これからもたぶん懲りずに、ガールズエンパワメントな作品にはたびたびお世話になるのだろう。このジャンルの作品が、時代を経て徐々にでも表現が変わっていくことを祈っています。マイナスをゼロに持っていくのではなくて、ゼロをプラスに、プラスをプラスにするような。



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