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「ゲームしない自分」に価値はない。

最近、ゲームをしていない。
というわけではなく特定のゲームをソロで多少やってはいる。だが、人と通話しながらワイワイとなんの目的もなくダラダラと、というのは数週間単位でやっていない。自分が一緒に遊んでいた相手というのは基本的にはTwitter上で関わりを持った人間なので一緒に遊ばないということははっきり言ってその人物にとって自分が存在していないということになるのだ。

存在価値など簡単にひっくり返る

この記事を読む人はSNSを様々な理由から使い始めているはずだ。特定の分野の情報を得たいから、遊び相手を探したいから、......かわいい子と出会いたいから。とかか。だが、それでSNSを使用する目的が果たせなくなってしまったら?得たい分野の情報が一切掲載されていない、遊び相手を探したいゲームを遊んでいるヤツがいない、......かわいい子がいない。こうなってしまうとお前がSNSを使用する理由は無くなる。理由が無いのにわざわざしたくもないことをするのは人間の本能が嫌うので、お前がSNSを続けようとするならば続けるための何かの理由を常に持たなければならない。

自分は体調面とか他諸々の観点から人とゲームを2週間くらい遊んでいない。今までの自分からしたらまあまあ珍しいことで、その間に色々思うこともあった。

「ゲームしない自分」に価値はない

文字通りだ。ゲームをしていない状態の自分は、集団の中で共通の話題を失ってしまいはぐれてしまった悲しい子鹿と同じなのだ。お前と世間のプレイヤーたちは変わらずゲームを続けているのでお前は過去に比べ圧倒的な成長を遂げているかもしれないし、全く有り得なかった革新的な発見をしてしまったかもしれない。世間のプレイヤーたちもどんどん上達していき、将来自分がゲームを再開させるときにはひどく差が生まれた状態からのスタートになるのかもしれない。

その時、自分は必要だっただろうか?答えはNOだ。お前は勝手に上達し勝手に大発見をし勝手に成長してしまったのだ。もちろんそれが悪いと言いたいわけではないし、おれがいないとお前はダメなのに!というメンヘラじみた物言いをするつもりもない。問題はそこに自分がどれだけの関係性で存在していたかだ。

Twitterにいるヤツは所詮フォローしているかどうかの差、所詮ただのいちプレイヤー、所詮は知らんヤツなのだ。つまりは、共通の趣味や分野において多少気軽にコミニュケーションをとれるだけの間柄ではないのか?そりゃあゲームをしなくなった途端に存在価値が消失するわけだ。だっておれいてもいなくても変わらねーもん。

おれはバカだった

そんな至極当たり前なことに改めて気付き、≪重く≫頭を垂れ、おれは行いを省みた。

分かる人には分かるフレーズ。

おれは自分が思うよりもただの遊び相手に対して入れ込み過ぎていたのではないか?もちろん、コイツとは今後ずっと遊べるようないい関係を築けたらな。と思う相手はいる。だが、全員が全員そうではない。1回遊んだきりご無沙汰なヤツも結構いる。特にどうするというわけではないが接し方を少し考えても良いのではないかと感じている。全ては思い上がりだった。

そういう自分は現在スプラトゥーン2からは離れモンスターハンターRiseでヘビィボウガンを担ぎ魅せプ撮影をしたりヘビィを担ぐための資本である肉体強化のためにリングフィットアドベンチャーにおいて運動負荷30で毎日レッグレイズを繰り返し腹筋を鍛えたりしている。だが、遊べる環境下になった瞬間キャンピングシェルターを担ぎ慢心したヤツがいれば即座に粉砕しにかかることを忘れるな。

今後のおはなし

現状スプラをやっていなくてもそんなに気持ち的に変化はないし、辞めていく人はこういう心境なのではないかという微妙に達観した状態であるので、このままプレイできなければ辞める選択肢も十分にあるだろう。やりたいはやりたいけどね。

Twitterでは割と好き勝手に発言してストレス発散になっているところもあるので当分はやめない。ヘビィボウガンMAD動画の作成という重大な任務のあるのでね。

それでは今日のところはここまで。
「おれを簡単に叩き潰せるくらいに強くなってくれ。」

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