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快適なツイッターライフのために(レスバ試論)

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0.序文

ツイッターを楽しんでいると、時々(頻繁に?)異なる意見を持つアカウントから反論されたり、挑発・嘲笑されたり、罵倒されたりします。面倒なら全部ブロックでもいいのですが、

・異なる意見にも耳を傾けて新たな知見を得たい
・きっちり反論して自分の正しさを証明したい
・相手の誤りを指摘したい

などと言った理由から議論に応じる事もあると思います。

有益な相手との議論は有益で学びに繋がるものですが、相手によっては醜悪な罵り合いに発展して、日常生活だと耳にすることの無いような、聞くに堪えない罵倒をぶつけられて気分の悪い1日を過ごす、などと言う事にもなりかかねません。

それを避けるために、私が思うところを書き連ねてみます。

1.事前精査

挑発的なコメントをぶつけられた場合、すぐに反応するのではなくまず相手のアカウントを見に行きましょう。真面目に議論をしたいのか、ただ挑発したいだけなのかは相手のコメントを見ればだいたい分かりますが、もう少し詳しくカテゴライズします。

 1.議論者:議論したい。異なる意見を受け入れる心構えもある。
 2.布教者:議論して自説の正しさを証明したい。
 3.強弁者:詭弁を使ってでもこちらを言い負かしたい。
 4.煽動者:フォロワーに自分をアピールしたい。
 5.嘲笑者:こちらを不快にしたい。

なんだかツイッター歴が長いほど下の方にレベルが上がっていく(下がっていく?)気がしますが・・・笑 だいたいこのくらいの精度で相手を位置づけます。

以下に各カテゴリーの簡単な説明をしておきます。

1.議論者(議論したい。異なる意見を受け入れる心構えもある)
このカテゴリーであれば特段に構える必要はないので、こちらも誠実に、敬意をもって接すればいいと思います。ただあまり遭遇することはない印象です。

2.布教者(議論して自説の正しさを証明したい)
このカテゴリーの人に対しても特段に構える必要はないですが、議論が無益な平行線になる事も覚悟しておくべきかと思います。良心的な人だとこちらに誤りを気づかせたい、新たな知見を与えたいという意図があったりします。ですが、こちらがエビデンスを示しても過小評価したりその有効性を疑ったり、あるいは個人の意見を一般に敷衍したりする人もいて、お互い話が通じないストレスを感じがちなので、議論を早めに切り上げる技術も必要になりそうです。次の3:強弁者とはグラデーションで、2:布教者かと思ってたら3:強弁者だった、ということもあります。

3.強弁者(詭弁を使ってでもこちらを言い負かしたい)
上の2とは地続きですが、中には最初から詭弁で勝つつもりの人もいます。よくある詭弁としては

・ストローマン(こちらが言ってない事を言ったことにして批判する)
・論点のすり替え(女ではなく犯罪者を叩け)
・対人論証(アンチフェミだからそう見えるんだ)
・論点の移動(じゃあこれはどうなんだよ)

まあ色々あるのでwikipediaでも見ておくと役立つ事もあるかと思います。

4.煽動者(フォロワーに自分をアピールしたい)
リプライではなくリツイートで他人の批判ばかりしてる人です。この人は議論が目的ではなくフォロワーへのアピールが目的なので、こちらの反論に対しても自分が優位なコメントをできる間はリツイートで返答し、不利になったりしたら無視するスタイルで、議論から何かを得ようという意思はありません。それなりのフォロワー数を抱えてる人も多く、ある意味ツイッターの形式に最も適応した人たちかもしれません。

5.嘲笑者(こちらを不快にしたい)
何の捻りもない罵倒・嘲笑を投げてくる相手なら無視かブロックでいいんですが、ある程度の知能を感じさせる、多少は鋭い批判をリプライで放ってくる相手もいます。

リプライなので4:煽動者のカテゴリーとは目的が違う。けど1:議論者には分類しにくい、無礼な言葉遣いや挑発的な語尾。こういう相手には私は少し警戒レベルを上げます。自分が勉強する気も相手に勉強させる気もフォロワーに勉強させる気もなく、ただこちらを不快にしたいだけの人である可能性が高いと思います。

こういう人は4:煽動者と違って、タイムラインに自分のツイートがあまりなく、誰かのリツイートばかりだったり、あるいはそれすらなかったりします。フォロワーもフォロイーも少ない傾向があるように感じます。

2.最初の一手

悪質度が最も高い5:嘲笑者の可能性が疑われる場合、まず以下の対応で様子を見ます。即ち

「こちらの論拠を示すのではなく、相手の論拠を問う」

議論はこちらのツイートに対する批判・反論という形で始まるので、普通はまずこちらの正当性を証明する(ディフェンスする)形を取るのが誠実な対応です。ですが、相手はまともな議論をする気はない可能性があります。

正当性を証明しようとしても、エビデンスが不十分、信頼に足りない、お前の解釈が間違っている等と言われると、今度はこちらがエビデンスが信頼でき、自分の解釈が正しい事を証明する必要が生じます。それでも相手が納得しなければさらに相手はその根拠を問い、こちらは永遠に正当性を証明する羽目になってしまいます。証明に瑕疵があれば(相手は何の論拠も出していないのに!)相手に勝ち確宣言をされてしまいます。

なので一手目としてはこちらの論拠を示すのではなく、相手に論拠を要求します。悪意ある相手はこちらの批判をして不快にさせたいだけなので、自説の論拠はまず示しません(論拠を示すことは自分がディフェンス側に立ち、相手に批判の隙を与えることになります)。よく訓練された5:嘲笑者は自分がディフェンス側に回る気は毛頭ないので、自説の論拠は示さずこちらへの批判を続けるか、こちらが論拠を出すべきだと主張してくるでしょう。

そうした対応が出てきたら私はもう相手にはしません。別に嘲笑者に理解・納得してもらう必要もないので、知りたければ自分でググれと突き放して終わればいいと思います。誠実でないことが見えている相手に誠実に振舞う必要はありません。

相手が自説の論拠を示すようであれば、多少は誠実さが認められます。論拠の内容によっては、警戒レベルを下げ、3:強弁者への対応に移行してもいいでしょう。

以下、実例をいくつか示しておきます。

この相手は、自分がディフェンス側に回らず、常にジャッジする側のポジションを維持するスタイルが顕著でした。別にこの人の理解を得たいとも思わないので、突き放して終わりです。

この時の相手は、後にそこまでの悪質さはないと判断して、少し誠実度を上げて対応しました。

ここから始まる一連のやり取り、非常に読みにくいですが、相手が極力ディフェンス側に回るまいと自説の提示を避けているのは分かるかと思います。

3.まとめ

他者との対話によって相互理解が進むという美しい神話がありますが、それは相互が相互を理解しようという前提が必要で、その場合であっても我々は意図せず自ら詭弁を使ってしまったり、感情的に拒絶してしまったりします。

相手にどの程度、対話の準備ができているか、自分の意見を変える用意があるか。それを見極めて、有益な相手と有益な対話をし時間は有効に使いたいものです。そのためには不誠実な相手には不誠実な対応を取ることもやむを得ない、と私は思います。

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