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魂と類魂(グループソウル)について2「魂」

ここでは、シルバーバーチの霊訓10に書かれている「魂」についての概念を図に現してみます。「シルバーバーチの霊訓10 P115-8」に記されている事を確認しながら観ていきましょう。

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●魂の構造図

この図が、わたしの「魂」とします。わたしはこの「魂」なのですが、今現在生きている(主観的な)わたしは、この「魂」の中の一部分、例えば「E」の部分です。シルバーバーチはこの魂全体を「インディビジュアリティ」と呼び、A、B、C、D、E、Fなどの面を「パーソナリティ」と呼んでいます。

パーソナリティは、インディビジュアリティが五つの物的感覚を通して自我を表現するための道具であり、氷山に例えれば水面上に出ているほんの一部にすぎません。パーソナリティは地上でつけているマスクです。インディビジュアリティ、つまり本当の自我はめったに顔を出しません。(五感に邪魔されて)出そうにも出せないのです。死によって肉体から分離した時に自覚される大きな自我(インディビジュアリティ)にくらべると実にお粗末なものしか表現しておりません。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

わたしは、この世で生きている主観的な自分だけではないということですね。いや~、不思議です。わたしE以外のA、B、C、D、F、・・・などは、どんな人なんでしょう。知りたいですね^^

人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎない。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになる。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

ここで云うダイヤモンドは、上記の図の魂の事ですね。図はダイヤモンドに見えませんが(笑)自分の個性は自分で把握している以上のもののようです。自分の知らない自分・・・想像もできませんね。

死後に生き続けるのはパーソナリティではありません。パーソナリティはインディビジュアリティによって投影された影にすぎません。そのインディビジュアリティが、肉体の死後、地上で発揮されなかった潜在的可能性を少しずつ発揮していきます。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

ということは、今のわたしの記憶や個性も保ちながら、同じ魂の中の他の人たちの記憶や個性も融合していくということなのでしょうか。

一個のインディビジュアリティがいくつもの分霊を出して地上にたくさんのパーソナリティをもつことができます。インディビジュアリティの物的表現、ないしは顕現です。数はたくさんですが、同じインディビジュアリティから出ているのです。

一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります。それらが別々の時代にパーソナリティとして地上に生をうけます。が、寿命を終えて霊界へ戻ってきた時も一個のインディビジュアリティの側面であることに変わりありません。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

今生きているこの世の中に、わたしと同じ魂から出てきている人はいないのでしょうか。上記を読むと、別々の時代となっていますね。もしかしたら、「前世」というのは、このたくさんのパーソナリティの事なのでしょうか。

二人の人間がアフィニティ(霊的親族)であることがあります。別々の人間でありながら一個の魂の半分ずつなのです。地上でそういう関係の人といっしょになれた時は、物的な富みでは測れない豊かさがもたらされます。アフィニティは同じダイヤモンドを構成している部分的側面です。

地上ではあなたという存在はあくまでも独立した一人物ですが、霊的なインディビジュアリティは必ずしもそうではありません。例えばアフィニティというのがあります。これは一個の魂が半分に分かれた存在で、二つが同時に地上へ誕生することがあるのです。

同じダイヤモンドの仲間の別の側面が同時に地上へ誕生することは有り得ます。が、すべては法則と秩序によって規制されております。その時期が来るまでは余計な心配はなさらぬことです。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

これらの言葉はどう解釈したらいいのでしょうか?「一つの大きな魂(インディビジュアリティ)があって、それに幾つもの部分的側面があります」と云っているのに対して「一個の魂の半分ずつ・・・」、また部分的側面は、「別々の時代にパーソナリティとして地上に生をうけます」と云っているのに対して「地上でそういう関係といっしょになれた時・・・」と云っています。

これは、①一つの面、わたしEが二つに分割されて、この世に転生してきたという事でしょうか?それとも②魂を単純に二つに割ってそれぞれが同時に転生してきたという事でしょうか?それとも、③単に二つの側面(EとFなど)が同時に転生してきたという事でしょうか?どうとでも解釈できるのですが、私的にはアフィニティの事柄も含めて①もしくは③ではないかと推測しますがどうでしょうか?

地上での特別な使命が託されている場合はインディビジュアリティの比較的大きな部分ー多くの側面ーがまとまって一個の肉体に宿ります。この場合にもダイヤモンドの光沢を増すための体験を積むという目的も兼ねているのです。転生は、因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。

ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはありません。いかなる身体もインディビジュアリティのすべてを宿すことは不可能だからです。

インディビジュアリティというのは魂の全体像です。その全体像を地上での70年や80年、あるいは90年の間に発揮することは到底不可能です。

要するに意識の中枢であるインディビジュアリティがあって、その分霊を受けた魂の集団、いわゆるグループソウルがある。その魂の一つ一つにも相があり、その相が地上へ誕生してくることもある。一つだけのこともあれば二つ、三つ、あるいはもっと多くの相が一度に一個の人間として誕生してくることもあり、全部が、つまり一個のダイヤモンドがそっくり誕生してくることもある。魂が大きいというのは相を数多く携えているということである。使命が大きいほど多くの相を携えている。シルバーバーチの霊訓10 P115-8

ここでも矛盾あります。「ダイヤモンド全体が一度に生まれてくることはない」、「一個のダイヤモンドがそっくり誕生してくることもある」・・・困りましたね(苦笑)ともあれ、これは幾つかの霊相がまとまって転生することはあるという事です。一つ一つの側面A、B、C、D、E、F、・・・などがそれぞれ転生してくるだけでなく、例えばA+B+Cがまとまって一人となって転生する事もあるわけです。魂の沢山の霊相が集まって生まれてくるのは大きな使命を携えているという事なのでしょう。どんな人なんしょう。
歴史的に尊敬されるような人たちもそうでしょうし、もっと小さな事でも関わった人たちに大きな影響を与えた人たち・・そんな人たちなのでしょうね。

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※上記では、双子霊(アフィニティ)については、「一つの面が二つに分割」となっているが、「二つの面が同時に地上に誕生」とも考えられる。

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まとめると、

●本当の自分は、この「魂の構造図の全て」である。

●一つの魂の中の各々の面(霊相)A,B,C,D・・がそれぞれ転生する。

●人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、霊相の一つにすぎない。

●死後に生き続けるのはパーソナリティ(個の面・霊相)ではない。

●一つの魂の中の霊相A,B,C,D・・は、別々の時代(時として同時)にパーソナリティとして地上に生をうける。

●アフィニティ(霊的親族)が同時に転生してくることがある。Aの霊相の1/2ずつ、もしくは、A、Bの二つの霊相が同時に転生してくると考えられる。

●大きな使命をもって、霊相A+B+C(や魂全体?)が一個の人間として転生する事がある。

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次回は、「類魂」について考察します。

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