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魂と類魂(グループソウル)について4(生まれ変わり、カルマ)

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●魂の構造図

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●類魂(グループソウル)の構造図

魂と類魂(グループソウル)について

この「魂の構造図」及び「類魂(グループソウル)の構造図」は、フレデリック・マイヤースが、死後、ジュラルディーン・カミンズ女性霊媒を通じて送ってきた自動書記通信(「永遠の大道」)と、「シルバーバーチの霊訓10」をまとめたものです。
魂にも親がいてその親の親をたどって行くと、そこには大きな魂の家族が存在する。(霊的祖先)
これをマイヤースは「グループソウル」と呼び、浅野和三郎氏が「類魂」と訳しました。
私たちは、何回くらい生まれ変わるのでしょうか?ときどき何百回とか聞くことがありますが、どうなんでしょう?

前回の地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえません。人物像は肉体の死とともに消滅します。それはインディビジュアリティの物的表現にすぎません。(シルバーバーチ)
原始的な人間の中には、向上心、つまり動物的段階から抜け出ようとする要求がなかなか芽生えない者がいるであろうし、そういう人間は例外的に何度も再生を繰り返すかもしれない。が、大部分の人間は、二回から三回、せいぜい四回くらいなものである。(マイヤース)
たった二回や三回の地上生活では十分な経験は得られないのではないか?その矛盾を説くのが、類魂の原理である。われわれは、無数の地上的体験と知識とを身につけるために、わざわざ地上に戻ってくる必要はない。他の類魂が集積した体験と知識とを我がものとすることができる。(マイヤース)
もう一度生まれ変わりたいという願望をもつようになる人がいます。奉仕的活動をしたいという場合もあります。成し遂げたい仕事がある場合もあります。償わねばならないカルマ的な’借金’が残っている場合もあります。そういう人たちが地上へ再生するのです。二度、三度とくり返すこともあります。が、いずれの場合も再生してくるのは真の自我すなわちインディビジュアリティの側面の一つです。再生したくないのであれば、何もこの暗いじめじめした陰鬱な世界へ戻ってくる必要はありません。真の自我に目覚めた人は再生してくる必要はありません。 (シルバーバーチ)

上記を読むと、生まれ変わりは2~4回。(但し魂の構造図の一つの霊相の面(E)が生まれ変わるのか、E面の次にF面などの他の霊相の面が生まれ変わるのかよく解りません)

一個のスピリットの中に含まれる魂の数は20、100、1000の場合もあり一定しない。 (マイヤース)

また、上記から仮に類魂内の魂の数が100個だとして各々の魂が2~4回転生を繰り返すならば、200~400回類魂内では転生することになります。前世記憶が類魂内全てであるなら、何百回生まれ変わるとも捉えることができますね。
生まれ変わり(転生)は、どのような理由でおきるのでしょうか?

「魂の人」(霊的に成長した魂)は大部分は二度と地上に戻りたいと思わないが、彼らを統一しているスピリットは幾度でも地上生活を求める。そして、そのスピリットが類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において、互いに反応し合い刺激しあう。(マイヤース)
あなたは今歩んでおられる道を地上に来る前に選択されたのです。その時は大きな意識で自覚しておられたのです。それが肉体に宿り脳を通して意識するようになって曇らされているのです。脳の意識では潜在意識の深奥は探れないからです。その誕生前の意識を目覚めさせるためには、その触媒となるべき危機的体験を積まねばなりません。いつかは明瞭に意識する日がきます。(シルバーバーチ)
再生してこない人がいるのは、支払うべきカルマの負債もなく、やらねばならない仕事もないからです。地上での用事がすっかり終わったということです。もう地上へ戻ってきてすることがないのです。地上との一切の縁を切って、霊界での向上進化に専念することができます。(シルバーバーチ)
(カルマに関して)自然の摂理によってきちんと公正が行きわたっております。必ずしも地上生活中にそうなるとはかぎりませんが、その場合は霊界において精算されます。そういうものなのです。カルマは霊界でも清算することができます。しかし地上でしか支払えない借りがある場合もあります。地上の危機存亡の時に当たって何かの貢献をしたいという自発的な願望から、再生の道を選ぶのです。みんな何らかの貢献をするために再生してくるのです。すべてに計画性があるのです。選択の自由は与えられています。
が、忘れないでいただきたいのは、その自由意志も相対的なものであることです。やりたくてもできないことがあり、また、どうしても選べないコースというものがあります。最終的にはあなたがそれまでに到達した霊的進化の程度が、次に取るべき手段を決定づけるからです。(シルバーバーチ)
地上に戻って来る人がいることは事実です。再生してくるわけですが、それまでの間隔は別に一定の年数が決められているわけではなく、あくまでも一つの計画に基づいてそうなるのです。カルマによる義務の遂行のために戻って来る人もいれば、自発的に地上での貢献を目的として戻って来る人もいます。
男性として戻ってくるか女性として戻ってくるかは、格別に重大なことではありません。私たちの世界には性差別防止条例はありませんので!霊的進化の程度が唯一の基準です。男性であるか女性であるかは問題ではありません。大切なのはその人の行為です。(シルバーバーチ)
支払うべき霊的借金とでもいうべき宿業をもった人が因果律の働きで戻ってくる場合もありますし、進化した高級霊が特定のグループ、時には特定の国家のために貢献する使命をもって降誕する場合もあります。その霊のもつ資質と才能とがその地域の人たちに必要だからです。(シルバーバーチ)

中心霊から再生を促されるようですが、決定するのは自分自身のようですね。そして再生の目的は、奉仕的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由のようです。
その人の霊的進化の程度の範囲内で、再生への道の選択は自由なのですね。カルマの返済において、地上でしか支払えない借りがある場合もあるようですから、そのような人は間違いなく再生してくるのでしょう。
地上でしか支払えないカルマって、どんなものなのでしょうね?

魂の多面(霊)の転生により、一個の魂が霊的向上に向かい、更に類魂の中の魂同士の体験・知識を共有して霊的成長を図っていく~~具体的にはどういう事でしょうか?

私は再生が事実であることを、いささかの躊躇もなく断言します。ただ私は、すべての人が再生するとは言っておりません。私が言っているのは、人間の個性というのはそれ自体が独立した存在ではなくて、大きなダイヤモンドの無数の側面の一つにすぎないこと。その側面が地上へ誕生して体験を積み、それによって得られる霊的成長をダイヤモンドに持ち帰って、一段と光沢と輝きを増すことになるということです。(シルバーバーチ)
(経験)不足を補うための二つの方法として、類魂の記憶の中に入っていく方法、もう一つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活を送る方法がある。(マイヤース)
こちら(霊界)で進化を遂げると、同一の霊系の魂の記憶と経験の中へ入り込むことができるようになる。
これを天才のケースに適応した時に興味深い。ある特殊な類魂の内部で、ある特殊な能力、たとえば音楽的才能が連続的に開拓されたら、最後にはその特殊な能力が地上の代表者の上に顕著に現れるはずである。(マイヤース)
前世とは、自分の生涯といえると同時に、自分の生涯でないとも言える。つまり前世とは自分と同じ霊系の魂のひとつが、かつて地上で送った生活をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえている。また、自分が送った地上生活によって類魂の他の一人に型を残すことにもなる。
かくしてわれわれは、いずれも独立した存在でありながら、同時にまた、いろいろな界(幽界、霊界他)で生活している他の霊的仲間たちからの影響を受け合う。(マイヤース)
われわれは、この死後の世界へ来て霊的に向上していくにつれて、次第にこの類魂の存在を自覚するようになる。そして、ついには個人的存在と別れを告げて類魂の中に没入し、仲間たちの経験までも我がものとしてしまう。(マイヤース)
私のいう色彩界(幽界の上層部)、特に次の火焔界(霊界の下層界)までくると、全体としての内面的な調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。’存在’の意義がここに来て一段と深まり、そして強くなる。またここに来てはじめて、地上生活では免れない 自己中心性、つまり自己の物的生命を維持するために絶え間なく他の物的生命を破壊していかねばならないという、地上的必要悪から完全に解脱する。(マイヤース)

いや~壮大な計画の元に私たちは生きているわけですね。 個の魂、さらには類魂全体のカルマの解消のために、そして、地上で貢献するために転生してくるようです。
それは、今生きているこの世界と向こうの世界とが切り離されているわけではなく、常に繋がっているという事です。
「われわれは立派な個性をもつ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」
けして一つの側面(霊相)で生きているのではなく、所属する魂、延いては類魂内の全仲間たちと共に霊的成長に向けて歩んでいるわけです。そう考えると「孤独」などということは有り得ませんね。

このような表現もありました。

一つの家族が霊界へ来ても、自動的に合流するわけではありません。家族のメンバーが自然な霊的親和性をもっている場合のみ、それが有りえます。親和性がなければ再会はありません。意識のレベルが違うからです。夫婦の場合であれば、身体上の結婚だけでなく魂と精神においても結ばれていなければ、霊界での再会は不可能です。再会を決定づけるのは霊的親和性です。死後しばらくは血縁によるバイブレーションが残っていますが、それには永続性がありません。(シルバーバーチ)


霊的親和性、意識のレベル・・・・・魂と精神のレベルでも結ばれるという事・・・う~む・・・・・・

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まとめると、

●地上生活と時と同じ人物がそっくり再生してくることは有りえない。

●生まれ変わり、前世の回数は3~4回のようだが、類魂内の記憶となると、何百回という捉え方もできる。

●類魂という共同体の仕組みによって、蓄積された各々の魂の地上再生時代の体験、経験、知識などを共有して霊的進化をしていく。

●奉仕的活動、貢献がしたい、成し遂げたい仕事をしたい、カルマの返済をしたいなどの理由によって生まれ変わってくる。 カルマも返済もなく、やらねばならない仕事もなければ再生してこない。

●中心霊が再生を促すが、決定するのは自分である。

●カルマの返済は霊界において精算される場合もあるが、地上でしか支払えない借りがある場合もある。

●再生への道の選択は自由だが、それは霊的進化の程度の範囲内である。

●各々の魂の経験不足を補うために、二つの方法がある。一つは類魂の記憶の中に入っていく方法、もう一つは、地上に誕生していった若い類魂の守護霊となって、自分が残したカルマの中でもう一度その類魂とともに地上生活を送る方法がある。

●類魂内のカルマや型は、魂の相互間で影響が大きいようである。まさに連帯責任のようである。

●類魂内においても、いろいろな界(幽界、霊界他)の住人(魂)がいるようで、それらの霊的仲間たちからの影響も当然受けている。

●死後の世界において霊的向上を果たすと個人的存在と別れを告げて類魂に没入する。全体としての内面的な調和の生活がいかに素晴らしく、またいかに美しいかがしみじみと分かってくる。

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魂と類魂(グループソウル)についての記述は以上でおしまいです。

補足

単に「前世」といっても自分自身の人生なのか、同じ類魂の中の誰かの前世であるかは、分からないということになります。

過去世退行催眠で、前世の自分を思い出したとしても、同じ類魂の中の誰かの前世なのかもしれません。

カルマに関しても、自分自身のカルマを継承している場合もあれば、同じ類魂の中の近しい魂のカルマを継承しているのかもしれません。

これは、いくら現世で自分自身で悪いカルマを生み出すことに注意を払
っても次の転生において、同じ類魂の他の魂が持つカルマを引き継ぐ可能性もあるということでしょう。

要するに、同じ類魂内の他の経験も吸収し、効率よく霊的成長を図る手段として類魂の仕組みがあるわけですが、良くも悪くも連帯するということ、それはまさに、「連帯責任」ということなのでしょう。

「われわれは立派な個性をもつ独立した存在であると同時に、また全体の中の不可欠な一存在でもある。」

「前世とは自分と同系の魂の一つがかつて地上で送った生活を指す」マイヤース

500回転生したとか聞いたことがありますが、この類魂の原理によれば、例えば120個の類魂集合体が一人4回生まれ変われば、480回転生したということになりますね。

しかし、20個(20人)の類魂ならともかく、1000個(1000人)の類魂で霊的成長していくのはタイヘンでしょうね。「前世」は同じ類魂の中での「前世」として、一般的によく使われる「カルマ」に関しては「個的霊のカルマ」と表現した方がよいのかもしれませんね。

終わり

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