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自分は自分らしく

母とずっと離れて暮らし、久しぶりにまた実家で一緒に暮らしてみて色々と気付いた。

やはり生きづらさのボトルネックは母。

自分がこんなにも攻撃的な言葉にさらされて生きてきたことに今さら気づくなんて。

母がこんなにも「絶対的な正しさ」を武器に攻撃していたなんて。

そして、母がこんなにも罪悪感を植え付けることで私を傷つけていたなんて。

友達や職場での悪口やモラハラにも耐えていたように見えた私の心はとても傷つきやすく繊細で、かつ私はそれに気づいていなかった。

自分を押し殺していきてきたのだ。

もう数十年前と同じようにはならないし、しない。

母の毒に侵されない。

母と私の間にきちんと境界線を引き、私の心に侵入してこない対処方法なら身につけているから。

母の言葉は気にせずに、着たい服を着よう。
母の言葉は気にせずに、好きなアクセサリーを身に着けよう。
母の言葉は気にせずに、好きなバッグを持とう。
母の言葉は気にせずに、好きな靴を履こう。
母の言葉は気にせずに、したい化粧をしよう。
母の言葉は気にせずに、行きたい国に行こう。
母の言葉は気にせずに、住みたい場所に住もう。
母の言葉は気にせずに、好きな仕事をしよう。
母の言葉は気にせずに、好きなときに好きなものを食べよう。
母の言葉は気にせずに、好きな人と一緒にいよう。
母の言葉は気にせずに、好きな化粧品を使おう。

私はどんな服を着て、どんな仕事をしていようと、生きているだけで価値がある。

たとえ血のつながった親子であっても、言っていいことと悪いことがあって、勝手に子供の心に土足でズカズカと入っていいわけではない。

私が選んだもの、私が好きなものを否定することは私を否定すること。

母が選んだもの、欲しくもないのに私に買い与えたもの、こういうのを身に着けていると自尊心が下がる。

母が選んだものは正しくて、私が選んだものは正しくないと言われているようだから。

だからもういい、全部いらない。

私は私で生きていく。

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