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心の境界線

ふと、私が生きる意味を考えることが多くなった。

そもそもこうやって海外に来たのも、毒親から逃げたいためだったことを思いだす。

プロのカウンセリングを受けるようになって言われたのは、私のような毒親育ちの女性が海外で一人生きているのは珍しくないということ。

私も十代後半、毒親のことを誰もわかってない辛さから摂食障害になったけど、毒親どうこうよりも周りの「甘えるんじゃない」、「親の悪口いうなんて!」の圧がツラすぎて海外に一人降り立った。

幸い経済的にはなんの苦労もなかったから、そこは感謝すべきだし、第一、両親に感謝してないなんて一度もいったことはない。

それなのに周囲の大人たちは、私が少しでも両親からの過干渉に不満をいうと話を遮ってまで「親の悪口を言うな!」と諭してきたのだ。

それが辛くて辛くて、本当に嫌だった。

特に一番嫌だったのがなんでも与えてくる母。ブランドものでも何でも。私が欲しくないものを一方的に与え、そして受け取らないと怒る。

母は私が喜ぶ顔を見たくてやっているのもあるし、父の介護疲れによるストレスから色々なものを買ってストレス発散したいのはわかる。

でももらう方はどうだろう。

欲しくもないブランドもののバッグ。

欲しくもないアクセサリー。

私の趣味じゃない。

これをどうしろというのか。

周囲から見ればこれを喜んで受け取らない私が「ワガママ」らしい。

そんな私も年齢を重ね、少しは周りが見えるようになってきた。

私を「ワガママ」と言っていた従兄弟も結局は毒親育ち。

彼女の両親はずーっと不仲。ヒモ体質の父親は長い間不倫をしつつも彼女とは仲良しではあったらしい。時々暴力もあったらしいが総じてパパっ子。それに対して母親は彼女の兄を溺愛し、家族を養うために激務の日々。

私からみた彼女はれっきとした毒親持ちの自己肯定感低め女。世話好きの彼女はこれまたヒモ体質の男と付き合い、彼の面倒を一生懸命見ることで自分の自己肯定感の低さを埋めているようにしか見えない。

毒親は連鎖するのだ。

彼女にも息子がいたがまぁ昔は荒れていたらしい。って言っても周囲と口をきかないとか、生意気言うとかくらいだけど。

叔父が亡くなってから、彼も落ち着いてきたらしい。

私の母を含め周囲はそんな彼を「大人になった」というけれど、笑っちゃう。

毒を持つ人たちは自分たちの毒が周囲にどんな影響を及ぼしているのか全くわかってないらしい。

私はこれからもこうやって色んな人の毒っぷりを観察しながら生きていくのだろう。

親の呪縛を解くこと。

きっとこれが私が生まれてきた意味。

とりあえず、自分の好きな服とバックを買いに行こう。


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