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地球儀の話①子どもたちと寒さ

「とうとう俺のアパートも停電になった。だから室内でも気温5度で寒くてジャンパーを着て過ごしているが、友達からは『塹壕で戦っている兵士に比べると楽なんだから文句を言ってはだめ』と怒られた。まだそれほど寒くないが、1月になったら大変だ」
ウクライナの首都キーウにいる友人から、先日、こんなメッセージが届いた。ウクライナではロシアが電力施設をミサイル攻撃しているせいで、電力不足が深刻になっている。しょっちゅう停電が起き、電気が何か月も止まっている街も少なくない。
私はメッセージを読むと、愛用している地球儀を手元に置き、AR(拡張現実)のアプリを起動させたうえでスマホをかざした。AR機能により画面の中の地球儀は画面の中で上の写真のようにポッと光った。
水色の真ん中とちょっと上あたりが欧州、その下の緑や黄色のゾーンがアフリカ大陸だ。これは色でリアルタイムの気温を示すモードで、欧州のあたりのライトブルーはだいたい摂氏10度くらいを意味する。ブルーが濃くなるほど寒くなり、ダークブルーは零下になる。
ウクライナの辺りはライトブルーだった。日本の感覚からするとやや寒いが、ウクライナの冬にしては暖かい。私は友人のメッセージを受け取ってから、毎日、地球儀で気温をチェックするようになった。

有史以来、寒さは貧しさや悲しさのイメージに直結してきた。学校で習った山上憶良の貧窮問答歌も、雨交じりの雪の日に暖房もない家で寒さに震える描写で始まる。そしてこの歌の主人公は想像する。自分より厳しい境遇にある人々が寒さにこごえ、子どもたちが泣く姿を。
私は想像を試みる。停電で暖房が止まり、冬の間中、室内気温5度で過ごす子どもたちのことを。私は気温が氷点下になった12月の早朝、シャツ1枚姿になってウィーン郊外にある自宅の仕事部屋の窓を開け放った。
寒気が体を刺す。でも、1時間このままでいたとしても、全く子どもたちのことをわかったことにはならない。私は寒さに耐えられなければ窓を閉めるだけで寒気を遮断できるが、彼らはいつそれを止められるか全くわからない。その壮絶な不安は、私には全く実感しようもない。
私は想像を試みる。戦地で流行するインフルエンザで高熱にあえぎながら病院にも行けず、寒く薄暗い部屋で横たわる子どもたちのことを。12月、2週間にわたって私の2歳の長女が原因不明の高熱で苦しんだ。火のように熱くなった娘を抱っこしている時も、私は彼らのことを想像しようとした。平和な先進国でもこれだけ苦しいのだから、彼らの親たちはどんなに切ない思いをしているだろうか。
でも、彼らの苦しみはやはり私の想像を超えていて、実感しようもないことはわかる。先が見えない戦争の不安とは、凄絶なものだからだ。それくらいはおぼろげながら私にもわかっていた。

黒海に突き出ているのがクリミア半島。「いまの地球」モードでみた元日のウクライナは大半が雲に覆われていた

ウクライナの友人たちの話によると、これから寒さがさらに厳しくなるにつれ、状況はもっと悪くなるらしい。ロシアはまだウクライナ全土を何度もミサイル攻撃する余力がある。例年、気温が常に氷点下に下がる1~2月に電力施設が破壊されて停電が長引けば、電気でコントロールしている上下水道もストップし、じきにパイプごと凍り付く。
そうすれば長期間にわたって復旧ができなくなり、上下水道が止まった集合住宅には住めなくなる。その結果、一気にたくさんの避難民が発生する。氷点下の中でそんな混乱が起きれば、子どもたちや高齢者の犠牲も増えるかもしれない。
一方、寒くなって泥だらけの地面が凍り付けば、かえって軍隊は動きやすくなり、戦いは激しくなる可能性が高い。ロシアはそれを待って昨年後半に招集した兵を大量に投入すると予想する人もいる。

天気予報によると、キーウでは6日から常時氷点下になり、8日には最低気温がマイナス10度を下回るという。私は地球儀を前に、これから起こりうることの想像を試みる。そして自分の想像力は十分でないことに直面する。徐々に気分は落ち込んでくる。
そんなとき、私は部屋を薄暗くして、スマホのアプリを「いまの地球モード」にして地球儀にかざす。暗さの中で美しく光る地球が浮かび上がる。宇宙からみたような視点でぼっとみていると、なんとなく、なんとかなるような気になる。

机の上で息づく地球

2022年は大変な年だった。今年も大変なことは続くだろう。でも、夜の後には朝が来るように、寒さの後には暖かさも来る。悪いことばかり続かないし、人は少しでも良くなるように動くことができる。私はふいに「13歳からの地政学」で、カイゾクが地球儀をハンドライトの光で照らしたシーンを思い出した。

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