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後輩の書いた脚本の悪役のモデルが私だった件

私が卒部して初めてのサークルの公演の話。2つ下の後輩Bによる創作脚本を上演するとのことで、それが私も知っている実話を基に作られたものだと聞いたのでどの出来事のことだろうかと思いつつ見ていた。

……1つしかない。私の知る限りでこの子の周りで少しでも似たような出来事があるとするならそれしかない。にしても似ている度合いはかなり低いようにも感じられ、正直半信半疑のまま聞くこともできずその日は帰った。

後輩Bの作品は今のところ基本的に本人の実体験がモデルになりがちで、且つ自分がモデルのキャラクターを絶対に主人公に設定する。あまり物語の中で活躍がなくてもそうしてしまうため、この春公演の脚本に至っては言われなければ主人公だと分からないほどだった。


全然関係ない話。
私天パなんですけど、特に雨の日は巻いたかのように
毛先がくるくるになるんですよね。

ざっとそのあらすじを話すとテレポートの能力を開発しようとしている研究者達の話で、主人公の真琴は同じ研究をしていた野津博士から研究データを盗んだ罪で3年間服役しておりやっと釈放され帰宅する、という所から始まる。しかしその実データを盗んだのは野津博士の方で、その動機は「若い女のくせに生意気だったから」というものだった。その背景には、野津博士が若い頃にある研究室のリーダーに解雇された(?)という過去があるらしい。最終的には事実が白日の元に晒され、野津博士が逮捕されていた。

真琴が釈放されるまでの間未就学児の娘の面倒を近所の謎の無職の若い男が住み込みで見ていたり、物語が進むにつれ真琴がどんどん影を潜め最後には全く登場せず全然関係ない無職男と野津博士の部下の若い女性のちょい仲良さげなシーンで終わったりというツッコミどころの絶えない作品であることは一旦置いておくとして、主人公の冤罪出所未亡人テレポート博士のモデルを後輩Bだとするとこの脚本のモデルは前回の冬公演、私達の代の引退公演における脚本選考の話だろう。詳しくは前回のブログに書いている。
「研究データ」は恐らく「冬公演の脚本担当の座」、そして「野津博士」はそれを彼から奪った私が基になっているのだろう。あらすじを書いてみた感じ野津博士が主人公でも良さそうだが、嫌いな相手をモデルにしたキャラクターを主人公にはしたくなかったのかなと思う。解像度も低かったし。

申し訳程度に性別を逆転するなどフェイクを入れていたがさすがに分かる。というか、他の肉付けが未熟すぎて作者の本当に書きたい部分だけが異質なほどはっきりと見えてしまったので気づきやすかった。この子からはこう見えていたのか、と。

たしかに私は結果的に彼の脚本が上演される機会を1つ奪ってしまった。しかしそれは当時提出された彼の脚本があまりにも発展途上で、上演するのに無理があると感じた先輩としての判断だった。高校演劇の経験も無ければ観劇もしたことが無い後輩による、資料集めも不十分で変な癖も強くただただ長い作品を数少ない演劇経験者の部員たちでカバーし舞台として完成させる自信が無かった。しかし一生懸命作品を書いてきたBにそこまでハッキリと「君の脚本の完成度は酷いです」と言う勇気が無く、作品への具体的な指摘はしつつも自作の脚本を提出し投票で上演を勝ち取ることで、Bの脚本の上演を阻止した(既成脚本で対抗できない理由についても前回のブログを見てほしい)。「自分の脚本がダメだから上演しない」ではなく「自分より経験のある先輩の脚本の方がより良かったから今回は自分の番じゃない」の方がまだ傷つきにくいのではと私が考えすぎてしまったのだ。

この前衝動で作った酢豚置いときます。



その結果、逆に嫌われてしまった。私の意図を分かってくれた一部を除いて現役部員は皆あの子の味方なので、もはや四方八方敵だらけである。
しかもその実話が物語に昇華される過程でかなりの曲解を食らっている。真琴は無実の罪で理不尽に収監され研究者の椅子を降ろされたが、彼はシンプルに私に投票で負けた結果脚本担当の座に付けなかったのである。野津博士は研究データを盗んだが私は特に彼から何も盗んでなどいない。当然相手に逆に罪を着せるようなこともしていない。彼の脚本の上演を私が阻止したのは野津博士のように若い才能を生意気に思ったからではない。Bにはそう見えたのだろうか。「高校から演劇をしていた先輩より初心者の自分の脚本の方が優れていること」を事実と信じて疑わず、その「事実」が白日の元に晒され野津博士(私)が逮捕される(何らかの罰を食らう)ことを望んだのかもしれない。私がした指摘に対する反発具合からもそう思った。「これが最後の舞台だから」とかその他諸々の私へのバイアス?忖度?が無ければ勝てた勝負だと思っているらしい。なぜそんなに自信があるのだ。このサークル以外で演劇を観たこともしたことも無いのに。もはや羨ましい。
野津博士が過去にある研究室を解雇された設定はというと、私が高校の演劇部で初めて書いた脚本を部長に却下され上演できなかった挫折経験が基だろう。卒部前、彼に話した記憶がある。故にこの一連による彼の痛みもかなり分かってしまい申し訳ない気持ちも全然ある。
野津博士が研究の資料を作った部下を理不尽に怒鳴るシーンもあるが、それも私の行いがモデルなのだろうか。私は彼の脚本にかなり初歩的な指摘しかしていない。(これは演出上の誇張だと思うが)勿論頭ごなしに怒鳴ってもいない。そんな度胸は無い。
色々とさすがに曲解にも程がある。脚本自体の完成度と二重の意味であまりにも酷い。嫌いな相手の似顔絵をわざとブスに描いてみせる子どものようじゃないか。私が観に来るのだって分かってたやん。というか100歩譲って私を悪者にしてもいいけどせめてそれなりの完成度にしてくれ。校内公演で良かったわ恥ずかしい。

そして先日とうとう他の部員からの又聞きで、あのモデルが私であることが確定した。「そうかな」とはずっと思っていたが、事実として突きつけられるとなかなかショックだった。ここまで散々な言い様だったが、私は彼の発想力自体は素晴らしいものだと思うし役者としては1番良い演技をしていると感じていたので逐一誰よりも褒めていた。その演技の経験を活かすべくまた脚本を書く時には相談とかしてくれないかな、とさえうっすら思っていた。しかし私への憎悪がこんなにも拗れた作品がここに完成してしまっているとなるともう収集が着く気はまるでしない。あの時素直に代わりの既成脚本を持ってきて、「君の脚本の上演はまだ、もう少し演劇に関する知見を積んで力をつけてからにしようよ」と言えていたら何か違ったのだろうか。

最近酔っ払って作った南瓜の馬車スタンドライト。
光らせるとお花の存在感が消える。



上演を勝ち取ったとはいえ、私の書いたものも演劇人の方々から見れば未熟で目も当てられない完成度だと思う。しかし演劇経験のある他の同期は優しすぎるが故に当時Bの脚本について何も言えなかったので私が阻止するしかなかった。それに「あの脚本じゃなくて良かった」「みやびさんの脚本で良かった」と未だに感謝してくれる子が同期や後輩に複数いることはBへの後ろめたさもあると同時に1つの誇りでもある。同期に対しては「いや一緒に嫌われ役やってくれよ」とも少しは思ったけど。

あのサークルは私にとって唯一に近い居場所だった。そもそも友達が少なく、何をするにも手際が悪く事務作業も人の指示を察し空気を読むことも苦手ですぐに「お前は手を出すな」と無能扱いされがちな私が唯一有能扱いされて、なんなら皆を引っ張る立ち位置で頑張れる場所だった。こんなに人から慕われ、必要とされ、誰にも意地悪されず疎外感を感じたこともないコミュニティは初めてだった。
鶏口牛後にすぎない自覚はあったがあの中では演劇の経験がある方なので皆のためにもしょうもない先輩なりに勉強しながら頑張ったつもりだった。最近は劇団にばかり肩入れしてサークルを捨てたとかも思われてるんだろうか。どちらかというと私が捨てられてる気がするけど。どうせ卒部してるし何でもいいか。

そんな唯一の居場所を失い、安心して息もできない毎日を送っている。私が排除される空気感自体は数ヶ月前から著しく感じられており、以前はあんなに毎日付けていたアクセサリーも付ける元気がなくなり始め、当然気分も上がらずただ家を出てバスに乗った瞬間から一日中喪失感に付き纏われるようになった。
食事も一日一食を下回るようになり8月中旬から4、5kgほど痩せ、とうとう初めて貧血を起こした。それが昨日か一昨日かさえもう分からない。
SNSでも後輩からまた曲解され悪いように言われ(前回のブログ参照)、毎日生きた心地がしない。かなり辛い。苦しくて仕方が無い。

聞いてくれる人達を失い、思ったことを気軽に話せる場がなくなって私はこのブログを始めた。ここなら私や私の書く文章に少しでも興味を持ってくださった方というか、とにかく読みたい人だけが読んでくれるから迷惑もかかりにくいと思った。目に見えるのはいいねや閲覧数だけで、共感や慰めの言葉が貰えることはなくても話せるだけで良いと思った。読んでくださってありがとうございます。

後輩Bや他の現役部員達に弁明するつもりも無い。私の思っていることだけが真実かは分からないし、言うべきことを言わなかった他の同期が悪者にされたり現役部員の中で新たな仲間割れの原因になったりするくらいなら誤解でもスケープゴートでも何でも、私一人が嫌われていれば良い。しかし誰にも知られず悪者で居続けるのは悔しいので一部の後輩や同期や先輩、あとはこんな文章をここまで読んだ方が知っていてくださったら少しは心が軽くなるなと思った次第である。ヒーローぶっているがこれから卒業までの半年をどんな思いで過ごせばいいか分からない。

さてそんなこんなで当然演劇をする場も失っているわけなので、演劇祭を終え演劇に携われていないこの時間が寂しくて仕方が無い。せめて観る側としてでも触れていたいから、交通費やチケット代のためにバイトを3つ回してでも福岡市の舞台に足繁く通っている。

早く別の場所で、最高の娯楽だと思える演劇がしたい。

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