(補足)日本学術会議における<バランス>の私的解釈(以前のツイート修正まとめ)

※日本学術会議における<バランス>の私的解釈について、以前一連ツイートの修正まとめ

日本学術会議の問題は、個人的には、これは<バランス>の問題だと‥
法律では日本学術会議は総理の所轄(日本学術会議法 第一条2)の行政機関なので、国民からは国民の<常識的バランス>ある機関として期待され、その<バランス>を是正するのは任命権者の総理なのは、私的には納得感あるとは‥

ところで、学者側からは、国民の<常識的バランス>と[学問の価値]とは必ずしも一致しない‥その価値は学者しか測れない‥の反論もあるかもと‥
ただ、個人的には[学問]とは、(文系では)人々無意識や文化歴史を《言語化したもの》との考えなので、その〔総体〕は結果<バランス>ある物になるはずと‥

つまり、[学問の価値]が高く分厚い(〔総体化〕)程、国民人々の<常識的バランス>に近づくはずかと‥
すると、国民の民主主義で選ばれた総理の取ろうとする<バランス>と、[学問の価値の総体]は、究極には一致するはずで、もしズレがどちらかにあるならば、それは双方から判断可能なのではと‥

問題は、行政機関である現在の日本学術会議の存在が、国民の<常識的バランス>(あるいは≒[学問価値の総体])に合致しているかどうかかと‥
つまり総理の会員任命の問題と、日本学術会議のあり方の問題は、実は裏表で同じ話であると、個人的には‥

もちろん、[学問]は現実には細分化されているので、個々の学問はその偏在によって<常識的バランス>からズレているので、その特殊性はそれぞれの研究機関や大学などで個別に守られる必要はあり、その「学問の自由」は、別途慎重に重要視する必要は当然あるかと‥

しかし今回の日本学術会議は行政機関の話であり、国民の<常識的バランス>(≒[学問価値の総体])がそこには期待され、国民代理の総理による任命(or政府や国会等でのあり方検証)による是正は、国民からも期待されているとは‥

つまり、このまま行くと論理的には、菅義偉総理側の理屈の方が国民の<常識的バランス>(≒[学問価値の総体])に近く、
個人的には、今の日本学術会議あるいは学者の皆さんの(〔総体〕に達しない)[学者価値]だけにこだわる抗議のやり方では、左派リベラル敗北が反復されるだけではと、個人的には‥

ただこれはあくまで個人的な印象なので、何れにしても今後の日本学術会議の問題がどの様な経緯を辿るかは、個人的にも注視したいと、思ってはいます‥

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