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イアン: 「持続可能」も有限だって考えたことある?(2019/05/31)

SDGs (*1) が流行りの最近、「持続可能な社会」という言葉を至る所で目にする。しかし「持続可能」とは何だろうか?今日は少し立ち止まって、考えてみたいと思う。

そもそも、すでに世界のあらゆる部分が持続可能ではなくなっている。温暖化などの環境問題の悪化により、持続できる「コト」や「モノ」は日々減少している。

例えば、「生物多様性」。

最近、国連から衝撃的な内容の報告書が発表された。なんと、世界で100万種の生物が絶滅の危機にあるらしい。今存在している生物の8種に1種が絶滅するかもしれないという計算だ。

絶滅は、なにも新しいことではない。地質学者によると、地球は過去に5回の大規模絶滅を経験している。その中でも子供に人気があるのが、恐竜の時代に起きた絶滅だ。

6,600万年前、突如空から降ってきた隕石の衝突により、非鳥類型恐竜(*2)を含む生物の75%が失われた。これが、地球の長い歴史の中でもっとも最近起きたとされる「第5の絶滅」である。

しかし、近年、生物学者などから異なる意見が上がっている。彼女らいわく「第6の絶滅」があるというのだ。しかし、最後の大規模絶滅が恐竜の時代だとしたら、第6の絶滅は一体いつおきたのか?

その答えは「今」だ。

科学者によると、現在、自然の速度の約1000から10,000倍の速さで生物が絶滅している。すでに過去50年で、動物、昆虫、鳥、魚、爬虫類の数は60%減少した。にわかに信じ難いが、現在の絶滅の速度は、恐竜の時代の速度を上回ると言う科学者もいる。

残念なことに、この絶滅は人類の活動の結果だ。温暖化を悪化させ、森林を伐採し、海の資源を取り続ける私たちは、自然界に「隕石級」の影響を与えているのだ。

突然話は変わるが、僕にとって最も尊い過去の記憶は、沖縄の輝く海に潜った日々のことだ。色とりどりのサンゴや海の生き物を見ながら感じた神秘や感動。それらが、僕の心に深く刻まれている。

これを失いたくない。気付けばそう思うようになり、サンゴを踏む観光客の姿を見て悲しみを覚えるようになった。長い時間をかけて、ゆっくり育つサンゴをなぜ人はいとも簡単にふんずけてしまうのか?子供の僕は、サンゴの痛みを突き刺さるように敏感に感じていた。

そんなサンゴにも今、絶滅の足音が忍び寄っている。温暖化に伴う海水温の上昇により、過去30年で世界のサンゴの量は50%減少した。このまま行くと、残るサンゴの99%以上が死滅すると言われている。

次の世代やそのまた次の世代は、サンゴを水族館でしか見れないかもしれない。私たちは、自然に生きるサンゴの「持続」に失敗してしまったのかもしれない。

国連の報告書に上がった100万種の生物やサンゴ以外にも、「持続」が危ぶまれているものは世界中にたくさんある。

僕が2018年に2ヶ月近く滞在したツバル(*3)は、温暖化に伴う海面上昇の問題で、国としての存亡が危うくなっている。近づく海から逃げるために、この島を出るべきか否か?話をした島民の全員が考えていた。旅の途中、子供達の未来を考えて移住を決意した二児の母に出会った。「本当はツバルを出たくない」と涙ながらに語ってくれた。

「ツバルで暮らす」という選択肢は、果たしていつまで「持続」するのだろうか。

今月(2019年5月)、日本では列島各地が異例の熱波に見舞われた。北海道では39.5度を観測し、日本全国の5月の最高記録を大幅に更新した。この暑さで、レールが歪むリスクが発生し、JR北海道の一部の列車が運休、ダイアが乱れた。同じ期間に、真夏日を記録した東京では、熱中症による緊急搬送者数が前年の4倍に跳ね上がった。

温暖化の被害からは遠く離れている印象がある日本でも、確実に「生活」は変化している。これまでの暮らしを「持続」できるのか、不安はつのる。

環境問題が悪化すればするほど、持続できる社会の範囲は狭まる。これ以上その範囲が狭まる前に、何を「持続」する社会を目指すのか、定義する必要があるのではないだろうか?

社会全体がこの定義にたどり着くまで、まだ時間がかかるだろう。だが、社会を構成する個人個人が持続したい「コト」や「モノ」を明確にすることは、今すぐにでもできる。

この記事を読んでくれた方々には、ぜひ下の二つの問いについて考えてみてほしい。

あなたは、次の世代に何を持続したいですか?
それを持続するためには、今どういう行動が必要ですか?

僕は、次の世代に美しい自然が残る、誰もが安心して暮らせる社会を持続したい。
そのために、これからもスパイラルのメンバーと共に、筆を取り続けようと思う。

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