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23.国文学者の先生にお願いです。和歌の始まりのころの歴史について書いてください。

国文学者の先生にお願いです。和歌の始まりのころの歴史について書いてください。

国文学者の全集を読んでみた。渡瀬昌忠、阿蘇瑞枝、神野志隆光、稲岡誠二先生など、どの先生もすごい量のむつかしそうな研究をされており、国文学者以外の人にとって何が研究されているのかほとんど分からないいわば雲の上の研究である。私は和歌のはじまりについて知りたいと思ってぱらぱらとページをめくったが、この膨大な著作の中に和歌のはじまりについての研究がないのである。

どうして和歌の始まりについての研究がないのであろうか。資料が少ないなど研究が困難であるという問題があることは確かであるが、それが研究の行われていない理由にはならない。国文学の世界では和歌の起源を研究することはタブーなのであろうか。

和歌の起源は日本語表記の歴史にも関係しており、おそらく国文学の研究分野の中でも最重要な部分とあるはずである。なぜ研究がなされていないのであろうか。古事記や日本書紀に掲載されている多くの和歌について個別的に仮託の歌であるという意見は多くみられる。仮託とははっきり言えば本物ではないということ、偽物であるということである。仮託などという分かりにくい言い方であいまいにぼやかすのが国文学の伝統なのであろうか。国文学は真理を追究することを忘れているのであろうか。

もう一つお願いしたいのは枕言葉というものをもう少し本気で研究していただきたいということである。古くから使われていて意味の分からなくなった修辞語句として、これは枕言葉であると言えばもうその起源は研究しなくてもいいと考えておられるのであろうか。古くからとはいつごろかとか、その枕言葉が成立するにいたった経緯とかの研究もないのは怠慢ではないのか。

私は和歌のはじまりについて私見をもっている。専門家が研究してくれないので仕方なく考え付いた仮説である。その仮説についてざっと書いておきたい。

和歌のはじまりは655年前後で、最初に和歌を作成したのは額田王、鏡女王らである。彼女たちは
643年に百済から亡命してきた王族である。643年に亡命してきたころは10歳前後であったが、王族なので漢字文化の教養はあった。彼女らは日本に来て漢字文化の違いにカルチャーショックを受けた。同じ同じでも読みかたが違ったり、同じ漢字の羅列でも意味が違ってくるのに興味を覚えた。そして日本語と韓国語の音訓の読みかたと、中国語表現を組み合わせて言葉パズルを作って楽しんでいた。そしてその言葉パズルは同じ時に亡命してきたほぼ40名の百済人王族、貴族の間で話題になっていった。それをきちんと公表する形にしたのが655年前後であり、658年に斉明女帝らが南紀白浜に行幸したとき、さらにポピュラーになっていった。

初期の和歌は韓国語で読み解くことができることを李寧煕さんが証明している。実際に多くの和歌を韓国語で読み解いている(『枕言葉の秘密』『天武と持統』『もう一つの万葉集』)。そしてこの額田王、鏡女王らの歌が最初の日本語表記である。このときに初めて日本語が表記されたのである。額田王らの和歌には「てにをは」がついている。ところが680年ごろの木簡や墓碑などの日本語表記には「てにをは」がついていない。そこで多くの学者は日本語の表記は680年ごろに始まったので額田王らの和歌の表記は後世のものであると考えているようである。

この点について私は日本語文学的表記(和歌、祝詞、宣命)の歴史と実用日本語表記(荷札、墓碑、官僚の記録簿)の歴史は別に考えるべきであると思う。680年ごろの木簡に「てにをは」がないからといって額田王らの表記を否定することはできないと思う。発達の歴史が違うからである。

木簡と言えば和歌が表記された木簡が見つかっている。表記は一字一音の万葉仮名である。この事実から万葉和歌は当初から万葉仮名で書かれていたと考える学者がいるかもしれないが、それは間違っていると思う。額田王らの初期万葉和歌は日韓音訓パズル書きであり、読んですぐ分かるような表記ではないのである。解読するのに何日もかかるパズルなのである。その和歌を官僚が公の場で声を出して読み上げるには「ふりがな」つまり万葉仮名が必要であったのは当然である。

またなぜ額田王らの和歌に「てにをは」がついているのかも問題になるであろう。それは日本語と韓国語が文法がほぼ同じだからである。古代の人称代名詞もよく似ている。人麻呂の「夕波千鳥汝(な)がなけば」の中の汝(な)は現代韓国語では(の)である。「あなたが医者だ」を韓国語で「のがうぃしゃだ」となる。主格助詞「が」、断定語尾「だ」は一致している。

最後に枕言葉について。枕言葉は古くから使われて意味が分からなくなったのではない。意味が分からないのは韓国語だからである。このことは今から20年以上も前に李寧煕さんが指摘されているが、国文学者の方は無視されているようである。もうそろそろ枕言葉の意味を明らかにしてほしいものである。


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