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日記#2 METAL GEAR SOLID V:THE PHANTOM PAIN

はじめに

メタルギアはステルスゲームという、相手から隠れて進むことを主軸においたゲームだ。最初のメタルギアは1987年にコナミから発売され、ステルスゲームの元祖となった。
本作はその5本目・・・というわけではないが、メタルギアソリッドV ザ・ファントムペイン(以下MGSV)で本シリーズのゲームプランナー、監督である小島秀夫監督は退社し、事実上の最終作となった。

本作を知らない人は是非このPVを見て頂きたい。私の最も好きなゲームPVだ。

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メタルギアの革命

メタルギアシリーズはゲーム業界に二つの革命をもたらした、一つは前述の"隠れて進む"ステルスゲームというジャンルの発祥、そしてもう一つは、"映画のようなシネマティックなムービー"だ。

特にPS1で発売されたメタルギアソリッドは当時は珍しい頭身の高いキャラクターが映画のように動き、ハリウッド映画のようなドラマティックな演出でシナリオが展開される。ナンバリングが進むごとに映画的演出は強化され、メタルギアソリッド4ではPS3の高い性能で映画と遜色ないアクションとCGが感動的なシナリオを彩った。

MGSVではそのシネマティックな演出がさらに強化された。プレイした人はもちろん、PVを見た人も滑らかにカメラが移動していくのに気づいただろうか、上記の2014年E3 PVの冒頭でも、カラスが死体をついばむ場面から流れるように主人公のヴェノム・スネークに移動する。

これがMGSVで行ったムービーの革命だ。MGSVではムービーに入る際、プレイヤーのカメラがそのまま移動してムービーのカメラとなり、ムービーが進行した後そのままムービーを写していたカメラがプレイヤーに戻るのだ。ムービーが始まったり終わる際にロードを挟んだり、暗転を挟んでカメラが切り替わることがほぼないような作りになっている。プレイヤーはムービーとゲームプレイをシームレスに行い、没入することができる設計となっているのだ。

映画ではいわゆるワンカメと呼ばれている方法で、一つのカメラで一発撮りを行う手法になる。最近の映画だと1917という映画などでも用いられているが、映画撮影においてはカットが使えないため、役者が長いセリフや演技を覚え練習する必要があること、ミスなどが発生した場合の撮り直しのリスクが高まることから、ワンカメの手法が取られている映画はその撮影手法が映画のウリとして機能することがほとんどだ。

しかしこのデメリットは実際の映画の話、CGで作られたゲームでは関係ない上、一つのカメラが常に追従することでプレイヤーに高い没入感と映画で裏打ちされた高い臨場感を持っている。MGSVは徹底したワンカメの構成になっており、これも小島監督の映画への深い造詣と、計算され推敲された演出が可能にしている。近年、グラフィックの進化と共に"映画のよう"と言われるゲームは増えているが、前作まででも完成されていた演出を、演出とゲームを切れ目なく繋げ没入感をさらに高めていくのは見事というよりない。


オープンワールド・ステルスゲーム

MGSVはマップ移動でロードが起こらない、オープンワールドゲームだ。もちろんメタルギアシリーズはステルスゲームなので、おそらく今でもほとんどないであろうオープンワールド・ステルスゲームなのである。

ゲームをある程度プレイする人なら違和感を持つと思うが、ステルスゲームとは主人公が相手を大立ち回りでなぎ倒し進めないから隠れる、ある種の制限を設ける。そこにレールを敷かず自由に歩けるオープンワールドの組み合わせは上手くいかないように感じると思う。

MGSVはグランドセフト・オートVやゼルダの伝説 BotWのような完全に自由なオープンワールドゲームというわけではない、舞台となるアフガニスタンは崖で拠点が仕切られており、必ず通らなければならないところもあるし、全てに自由にアクセスできるというわけではないのだ。

しかしロードはなくマップは繋がってる、それぞれの敵がいる拠点ポイントを行き来できるような広い場所もある。さらに本作は乗り物に乗ったり、施設の電源設備を壊したりなど、プレイヤーがアクセスできるギミックが無数にあるのだ。

ステルスゲームの昔からの課題として、一周クリアしてギミックを楽しんでしまうと二週目からあまり面白くなくなる、というものがあった。MGSVはその課題を無数のギミックとオープンワールドのシステムで解決したのだ。

例えばある人は麻酔銃で人を殺さないプレイができるし、ある人はバディの犬やスナイパーを連れて行けるし、ある人は全身重火器とプロテクターで固めた重装備で突貫しても良い。ルートも無数に選択できる。ミッションクリアに至るまでの選択肢がかつてない数になったのだ。

もちろんマップが広大になり、ステルスゲームをやったことがある人なら共感してもらえると思うが、別のマップに逃げて難を逃れるというプレイができなくなってしまった。しかしそれは様々な支援アイテムや、チキンキャップという救済システムもあり、苦手な人も意識してデザインされているのもポイントが高い。


未完の傑作

MGSVの話をする上で避けて通れないのはシナリオに関することだ。本作を期に制作の指揮を取っていた小島秀夫監督を始めとした主要スタッフはコナミを退社、独立したりと、開発が難航していたことは外部からでもわかるほどだ。初回限定盤には未完成の「蝿の王国」という章の開発途中の映像が含まれていたこともそれを裏付ける。

これに関しては様々な意見があるが、私個人としては辻褄が合うようにストーリーは構築されていると思う。ただ間違いなく制作に課題があったことは明らかであるし、少ない素材の中でスタッフの方々は最大限のできることを行ったのではないかと考えている。

しかし、私のようなファンからすると、蝿の王国や断片的にある開発の資料を見る限り、完成していれば過去最高のメタルギアになったのではないかという思いもまた強い。


最後に

MGSVは非常に完成度の高いステルスゲームと没入感の高い演出を持つゲームで、日本のゲームらしい職人気質な丁寧さと海外のゲームのようなリアルな世界観を持つ唯一無二なタイトルだった。今その意思は独立した小島監督が立ち上げた小島プロダクションのDeath Strandingというタイトルに宿っている。

本作は様々なハードでプレイできるし、最近のPCであればノートパソコンでも、画質設定と弄れば少し重いがプレイできる。シナリオだけ追いたい人には小説版も完全に監修されており、完成度も非常に高いのでオススメだ。



おまけ(ネタバレ注意)

ここではネタバレを含みます。未プレイの方はご注意ください












少し既プレイの人に対して語ろう。3000文字ルールを破ってしまうがおまけなので許してほしい。

MGSVは序章であるGround Zeros(GZ)と本編である本作という二本立てになっており、先行して発売されたGZで発生する事件の首謀者であるスカルフェイスを倒すことが、本作の目標であると発売前のユーザーの多くは考えていた。

しかし発売後、ユーザーの予想は裏切られた。スカルフェイスは第一章でスネークらによって倒され、ヒューイによって殺される。そしてその後、スカルフェイスの置き土産である声帯虫によって大勢の仲間を失うことになる。

マリオがピーチ姫を助けたらゲームが終わるように、本来このゲームはスカルフェイスを倒した時点で終了するべきなのだ。しかしゲームは終わらず、プレイヤーは悪夢のような光景を目にすることになる。

これこそが本作でやりたかったことなのだと思う。すべてはスカルフェイスが悪いが、彼は死んでしまった。行き場のない怒りをスネークたちは怪しげな素振りを見せていたヒューイにぶつける。

ヒューイが黒か白かの論争をすることに意味はないと思う。どちらにも取れるような描き方がされているからだ。大切なのはなぜここでゲームが終了したかにある。

本作のテーマは報復だ。しかし報復の行き着く先、相手を滅した後には虚しさしかない、ということが本作のテーマであると思っている。文章にはできるが、これを的確にどう表現するかという点ではこのゲームのストーリーは高得点だと私は考える。

未完成の原因もおそらくコナミの経営的な判断にあるが、それすらもヒューイのように私たちにはわからないことで、例えこの先コナミが潰れてしまってもファンの虚しさは消えないだろう。何の因果か、結果的にファンはゲームのテーマを裏事情からも感じているのだ。

最近の新型コロナウイルスの流行はこのゲームを思い出させる。致死率は低いが、パンデミックを隔離できていないという点では現実はマザーベースより厄介なことになっている。現実に起きているこの事件は中国で発生したが、明確に悪意を持っている個人や組織はないだろう。ひょっとしたら私たちもヒューイをボートに乗せる日が来るかもしれない。

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