左ききのエレンと都知事選と人間愛

万全なんて一生こねぇぞ
体調最悪でも
二日寝てなくても
友達に裏切られても
女にフラれても
その中で歯くいしばってひねり出した仕事が
お前の実力の全てだ
クソみたいな日に
いいもんつくるのがプロだ

先日漫画「左ききのエレン」を一気読みしました。「左ききのエレン」は広告代理店で働く主人公の朝倉光一と天才アーティスト山岸エレンとの関係を中心に物語が回っていきます。

冒頭のセリフは光一の上司である神谷雄介の言葉です。

この言葉を今読んで、思ったことがあります。都知事選についてです。

神谷さんは「デザイナーというものづくりの仕事には、リソースが十分であることは常にない」事実とそれに立ち向かうプロとしての気概を光一に激励として送ります。

セリフは物語の文脈と絡まることで一層輝きを増します。しかしその言葉をあえて文脈から切り離して考えてみると、デザイナーだけではなく、全ての仕事においてリソースが十分であることは常にないのではと感じます。

そして、社会においてもリソースが十分であることは常にないのだ、という思いに辿りつきます。具体から、あらぬ階層の抽象に飛んでしまうのが、僕の思考の癖です。7/5の都知事選を控え、都内では選挙ポスターの貼られた掲示板が目につきます。ネットでは北区の都議選についての話題が目につきます。

子供の頃、政治家は頭のいい人たちの集まりだと思っていました。国のトップは、機転がきき思いやりとリーダーシップに富んだ人物であると思っていました。一流大卒は世の中を揺るがすような発明をし続ける天才なのだと思っていました。僕はまだ子供と言って差し支えないような年齢と立場ですが、それでもこれらは全て絵に描いた餅なのだと理解するようになりました。

子供の頃描いていた理想の社会像のように社会が回るには、どうやら人材(リソース)は常に不足しているようです。

それでも、限られた人材で社会を動かし、様々な課題を解決していく必要があります。

ここでまた話は少し飛びますが、昨今フェミニズムの声が大きくなっているように思います。また、ジョージフロイドさんの事件以降、アメリカでは黒人差別に対する抗議運動が激化しています。

僕は非常に無責任なたちで、こうした問題に全身をフルコミットすることができないでいます。

僕はジェンダー・人種平等な社会を望んでいると少なくとも頭では思っています。では本当に行動が伴っているかと言われると、即座に首を縦にふることは正直言って出来ません。自分の中にはおそらく女性蔑視的な考え方もあるし、人種差別的な考え方もあります。

だから、反対運動にフルコミット出来ない。自分にはその資格がないと思ってしまう。自分の中にも一定差別意識があることがわかっていて、さらにそれが悪いことだとわかっているからこそ、延々と自己嫌悪のループが自分の中で回っている。そのループの中で螺旋階段的に少しずつ自分の中の差別意識を改善していって、それがようやく達成されたと自分で思えた時にようやく声をあげる権利が獲得できるのだと思っている。少なくともそう思い込んでいます。

そうした自己嫌悪ループの中にいる僕にとって、ネット上で多数見受けられる差別反対派(のベールをまとっているものの少しずれている気がする人たち)の過激な発言は時折受け入れがたく感じることがあります。

差別意識は、自己承認欲求や妬みや恐怖といった、人間なら誰にでも備わっている感情からくる物だと思います。もちろん現代では意味を失った、過去のシステムの影響を受けているものもあると思います。そういうものは、即座になくなればいい。でも、人間の根本的な感情に根付いているものは、ある意味本質的な物でもあると思うのです。

誤解されそうなので、もう一度いいますが、僕は差別反対です。僕が感じているのは、差別という物の裏側に人間的な生臭い感情があって、差別をなくすことには大賛成だけれども、その生臭い感情を素通りしてはいけないのではないか、ということです。

デザイナーにはコンディションというリソースが常に不足しています。
社会には人材というリソースが常に不足しています。
同じように、個人としての人間には、理性というリソースが常に不足しているのではないかと思うのです。

完全なデザインを思い描くことも当然必要です。
完全な社会を思い描くことも当然必要です。
完全な人間を思い描くことも当然必要です。

ただし、その実現にはまず、リソースが不足していることを認める必要がある。そしてそれは当たり前のことだと受け入れる必要がある。

今、わたしたちは、人間の醜さを直視できているのだろうか。自分の中に潜む醜い感情と闘う覚悟はできているのだろうか。あるいは、それと闘ってしまっているが故に、破滅的な螺旋に陥ってはいないだろうか。

「クソみたいな日にいいもんつくるのがプロだ」

そう声をかけながら不敵な笑みを浮かべる神谷雄介という人物は、それでもデザイナーという仕事を愛しているのだと思う。

わたしたちは、本当の意味で人間を愛することができるのだろうか。

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