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「レクイエム」という音楽(2)モーツァルト:レクイエム KV626

指揮: カール・ベーム
ソプラノ: グンドゥラ・ヤノヴィッツ
メゾソプラノ: クリスタ・ルートヴィヒ
テノール: ペーター・シュライアー
バス: ヴァルター・ベリー
合唱: ウィーン国立歌劇場合唱団
オーケストラ: ウィーン交響楽団 収録:1971年 演奏時間:63分25秒

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの白鳥の唄(最後の作品)
「レクイエム KV626」はキリスト教会の典礼様式に則って書かれています。

ですが、神への礼賛の曲では決してありません。まして教会への賛美などではありません。
添付したYoutubeを、どうぞ最初の10分でいいですからお聴きになってみてください。

合唱の各員が、オーケストラ全員が、歌手一人一人が、そして指揮者が、
全力で渾然一体となって演奏していることを見てとれることと思います。

ソロ歌手の声が、ラッパの音が、突き刺さってきます。
演奏者それぞれが、まるで自分の肉親の死に向かい合っているような、
臍(ホゾ)を噛む慚愧(ザンキ)の想いが、悲嘆と懺悔にまみれた悲鳴が、
否応なく、聴く者の心と肉体に突き刺さります。

各章の演奏の合間に、各演奏者が息をつくシーンは全くなく、まして微笑むなどということもありません。
聴衆の咳払いも騒めきも全く聞こえない、緊迫の演奏であることに気づかれるでしょう。こんな演奏は、古今、そう滅多にあるものではないのです。

決して、様式にとらわれた、教会の単なる儀式を支える音楽には、聞こえません。

これは、最後の命の灯が消えようとする瞬間のモーツァルトが、自らの亡き父への止むことのない懺悔の想いを写した音楽なのです。

時代は、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世(1741年 - 1790年)の死の直後の1791年、フランス革命( - 1794年)の嵐が吹きすさぶ、激動の真っ只中。

父の亡霊を登場させた「ドン・ジョバンニ」K. 527の作曲を終えたモーツァルトの前に、見知らぬ男性が現れ、レクイエムの作曲を依頼します。

この男性を実の父の亡霊と恐れたモーツアルトは、父への鎮魂の曲として、このレクイエムの作曲に取り掛かります。
が、全曲を完成することなく、彼は絶命。 この間、僅か数か月です。

狂気の中、書き上げられた曲は、永遠の輝きを放って今も演奏者達の心をつかんで離しません。

モーツアルトは、キリスト教会(バチカン)の様式を軽々と飛び越えて(無視して)、全体主義という恐怖の政治思想の嵐が吹き始める中、一人の人間として曲を書き上げ「音楽の中に個人の想いを詰め込む」という、当時としては
許されざる「異端の曲」を、さらりと書き上げたのです。

あとに続くベートーベンやブラームス達の先達として、神はモーツアルトに最後の仕事を課したのです。

まさしく「天才」「神の楽器」の呼称にふさわしい。

20世紀の最高の指揮者カール・ベームと、当時一級のソロ歌手・合唱団、
そして名だたるウィーンフィルハーモニー交響楽団によって生み出された、このレクイエム(死者のためのミサ曲)は、モーツァルト最期の心底をのぞかせるような深い解釈により、高く評価され、50年という時間をものともせず、他の多くのCDを聴いても最後にここに戻ってくると謂われる「究極の名演奏」と謂われています。

最後に、曲の構成を記しておきます。

第1曲 レクイエム・エテルナム【永遠の安息を】
第2曲 キリエ【憐れみの賛歌】
第3曲 ディエス・イレー【怒りの日】
第4曲 トゥーバ・ミルム【奇しきラッパの響き】
第5曲 レックス・トレメンデ【恐るべき御稜威の王】
第6曲 レコルダーレ【思い出したまえ】
第7曲 コンフターティス【呪われ退けられし者達が】
第8曲 ラクリモーサ【涙の日】
第9曲 ドミネ・イエス【主イエス】
第10曲 オスティアス【賛美の生け贄】
第11曲 サンクトゥス【聖なるかな】
第12曲 ベネディクトゥス【祝福された者】
第13曲 アニュス・デイ【神の小羊】
第14曲 ルックス・エテルナ【永遠の光】

⇒ 「レクイエム」という音楽(3)ドイツ・レクイエム 作品45 へ
  続きます。


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