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アルヴォ・ペルト:スターバトマーテル(悲しみの聖母)

Arvo Pärt - Stabat Mater
合唱:グローリエ・デイ・カントレス( Gloriae Dei Cantores )
指揮:リチャード・K・パグスリー ( Richard K. Pugsley )

アイルランド出身のフランスの劇作家・小説家である サミュエル・ベケット が書いた「ゴドーを待ちながら」という、現代不条理演劇の代表作がある。

第一幕 ****************

二人の浮浪者がゴドーさんを待っている。
何をするということでもなく、なにか かにかをやりながら、
ゴドーさんを待っている。

待っている理由は、ゴドーさんが来ると言ったからだ。
ゴドーさんが来れば救われる、と二人の男は信じている。
だから、ひたすら待っている。

一日が経ったがゴドーさんは現れない。
代わりに使いの子供がやってきた。
「ゴドーさんは明日には来る、と言われました」

第二幕 ****************

翌日も、二人は、持ち続ける。
兎にも角にも、ゴドーが来てくれないことには、どうにもならない。
だから、ひたすら待ち続ける。
靴を脱いだり、はいたり、通行人と喋ったり、些細なことを続けながら、
二人は待ち続ける。

また一日が暮れた。が、ゴドーさんは、現れない。
代わりに使いの子供がやってきた・・・
「ゴドーさんは明日には来る、と言われました」

*************** 了

彼らは (我々は) 救われることを希い、ゴドーが来る時を待っている。
ゴドーが現れた時「待つ」という行為は完了し、報われる。
ゴドーが現れなければ行為は完了せず、報われることはない。
途中で待つこと(行為)を放棄したら、完結もせず、報われもしない。

いや、放棄は 成立しない。放棄という行為自体が 待つことと同義である
からだ。どのみち、
逃げ道はどこにもない。

この芝居が、とある刑務所にて公演された直後、或る囚人が吐き捨てるように言った。
「ゴドーってなんだと思うか、だって?」
「決まってるじゃないか、(壁の)外さ!・・・自由だよっ!」・・・・・

激烈な軍靴の響き渡る中、圧倒的な「時代の暴力」にさらされて、怒りに拳を震せながらも、緊張で凍りつき、悲鳴も上げられないまま、「体制」という檻の中でひたすら耐え続ける人々。

今、 
我々もまたある意味で「檻」の中であがきつつも、救いの日が来たらんことを願いつつ、何かしらをしながら、生きている。
我等もまた、彼らのように 「ゴドー」を待っているのか・・・・・・。

ヨハネ黙示録の最終章、神は約束している。
「然り、我、速やかに至らん」と。
神は「速やかに来る」とは言ったが、「きっと来る」とも「今すぐ来る」とも
言ってはいない。



神の時間性を理解できない我々は、哀しいかな、ただひたすらに祈りつつ、約束の「時」が速やかに来たらんことを願うのみなのかもしれません。

アルボ・ペルトさんの書いた「スターバト・マーテル」は、演奏時間約25分と短い作品ですが、みっしりと心を打つ、深い祈りの曲です。

よろしければ、どうぞお聴きください。

≪ 以下、アルボ・ペルトさんの略歴です ≫

アルヴォ・ペルトさん(Arvo Pärt, 1935年9月11日 - )は、エストニア生まれの作曲家です。

初期の作品群はショスタコーヴィチやプロコフィエフ・バルトークの影響を受け、厳格な新古典主義の様式から、シェーンベルクの十二音技法や、メシアンに始まるミュージック・セリエルにまで、多彩です。

アルヴォ・ペルトさんの生まれた1935年頃、エストニアはその独立を侵され、1940年にはソヴィエト連邦の勢力下に完全に置かれてしまいました。
その後 エストニアは、東西冷戦の象徴でもあった「ベルリンの壁」が崩壊
した1989年から更に5年後の、ソ連崩壊直前の1991年の独立回復宣言まで、51年間も、ソヴィエト連邦の厳しい思想管制下にありました。
ペルトさんは、長く続く思想管制に耐えられず、1979年に家族と共にオーストリアのウィーンに移住し、1982年にはベルリンを拠点に活躍されました。

Wikipedia より抜粋

ペルトさんは、現在 86歳。益々のご健勝を祈りたいものです

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