回帰

有志が運営している1103環境ADSを紹介してもらって始めた。まともにゲームとして遊戯王をプレイするのはマスターデュエルぶりである。
なんとなく友人知人が興じている状況に乗っかりたかったのもあるかもしれない。

相変わらずカードゲーム自体はそんなにうまくない。
カードは覚えていないわ操作はミスするわでひどい有様である。
それでもデッキ自体はそれなりに纏まっているのと、別に相手がかならずしもガチデッキばかりではなく自由にデッキを使っているので気分が落ち込まない程度に勝ってしまうのが程よいのかもしれない。
麻雀も同じだなと思うが、麻雀よりは自分でゲームの勝敗をコントロールできている気がするのが麻雀ほどストレスの振れ幅が大きくない原因なのかな、などと考えていた。(実際どうなのかは定かではなく、概ね麻雀が下手というだけの可能性が濃厚ではあるのだが)

ゲーム自体をそこまで真剣に突き詰めようという気もあまりなく、適度に楽しめたらいいなぐらいのノリではあるが、今のところ程よく楽しめている気がしている。そもそもとして2011年3月のシーズンを当時もはやほとんどプレイしておらず、使っているデッキに愛着もないので好き放題デッキを作って純粋にデッキを知る余地がいっぱい残されてるのが自分にとっては良かったのかもしれない。探究心を心地よくくすぐられる。

マスターデュエルに興じていた時は自分の求めていた/歩んできた遊戯王とはもはやだいぶ違えてしまってはいたが、まだこのぐらいの環境は自分の求めていた(自分にとって)程よい複雑性とリソースの交換を楽しめる好きなゲームだなというのもよかったのかもしれない。
そのうちリアルにカード買って大会出たりするのもいいかもな、と思えている。

後付けで思ったことだが、シャドウバースに関して意欲が幾分削がれてきた理由は複雑性の観点にもあるのかもしれないな、とふと思った次第だった。
時を経るたびに(カードが入れ替わるローテーションでさえ、むしろターン数が長引くローテーションの方こそ?)複雑性が増し、選択が高度化していくのについていけなかった側面は多少なりともあるのだろうな、と感じている。
(リソースの物的移動や変化に対する認識能力が低いというカードゲーマーとして競技的にプレイするには致命的過ぎる能力欠如がそれに拍車をかけている節はある気がしている)
そういう意味で当時の遊戯王ぐらいまでがやりやすい、というか人間的な能力に耐えうる(と言っていいのかは定かではないが、現時点ではそう認識している)複雑性の限界点なのかもしれない。

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