優しさを決めるのは動機か、印象か
むかし地元関西に、「厳しさが優しさ」と銘打っている学習塾があった。今ならちょっと問題になるキャッチコピーかもしれないが、子供のためを思って厳しくするのは、子供のためを思わず優しくするよりいいじゃないかという主張が含まれている。実際のところ、動機は優しさを決める要素の1つではあるだろう。
しかし私はもう1つ、忘れてはならない要素があると思っている。パワハラが、それを行った側ではなく行われた側によって認定されるのと同じように、優しさもまた受け取る側の気持ち次第ということである。