映画「十九歳の地図」

中上健次の同名の小説が原作の映画。新聞配達員の少年を通して、貧しい世帯と豊かな世帯がモザイク状になった八〇年代の東京の下町の風景が見えてくる。映画では人間の俗悪な面に焦点が当てられている。その象徴的な人物が蟹江敬三演じる新聞配達員の三〇男・紺野である。

【以下ネタバレあり】

紺野は、マリアと呼ぶ自殺未遂で片足が不自由になった女性を情婦にしている。そのマリアは、屋外で放尿するなど、常軌を逸した行動を取るが、売春で生計を立てているようである。紺野はそれを知っていてもマリアを愛しているようである。紺野は、身ごもったマリアのために犯罪に手を染め、しょっぴかれてしまう。主人公の予備校生・吉岡は、蟹江と同じ部屋に住み、早朝走って新聞を配るという非常に過酷な労働に従事している。その中で、配達先の世帯について細かく調査し、何か気に入らないところがあると、メモし、その世帯に✕印をつけるというのが習慣になっている。それが高じて、自作の地図に世帯名を記入するまでになる。そして、そうした世帯の電話番号を調べ、脅迫したり、罵倒したりすることがストレス解消法になっている。ここで、新聞配達員は、社会を俯瞰する視点を持つのである。

映画の登場人物は、痴話喧嘩が絶えない夫婦だったり、みすぼらしい暮らしのマリアだったり、化粧に夢中の女子高生だったり、新聞代金をばっくれようとする住人だったりと、ほぼ全員が低劣な人間である。吉岡は一人そうした低劣さを攻撃している(もちろん吉岡も低劣な人間なのだが)。なお、吉岡演じる俳優は暴走族のリーダーということである。見た目は普通っぽいが、罵倒が様になっているのはそういう背景があるからだろう。

ボクサーを目指してる同僚の配達員のエピソードも吉岡の中で敗北感をにじませたに違いない。吉岡はラスト付近でのガスタンクの爆破予告をするが、そこで初めて見せる涙が悲哀を感じせる。ラストで、マリアがごみ捨場でドレスを拾って、一人でダンスする場面はそうした悲哀に満ちた人生の中の光が差し込む瞬間だろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?