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2024年フィリピン・マニラ旅行記


2月14日(水)(旅行前日)

成田のホテルに宿泊の予約を入れたので、午後4時半頃に電車で成田第2ターミナルに向けて出発する。
フィリピンとの温度差のため、服装の問題があったが、2月半ばにもかかわらず、異様に暖かく、春の服装で問題なかった。ホテルまでのバス停がわからず、成田第2ターミナルのインフォメーションで訊いた。慣れない空港は右も左もわからなかった。
バスで三〇分ほどでホテル着。時間は20時頃になっていた。部屋に着くと、直ちにコンビニに向かう。おかずを買うためである。マカサラとスモークタンを買う。野菜が欲しかったがなかった。メインは家から持ってきたパックご飯とレトルトのタイカレーである。レトルトカレーは袋のままレンチンできるのが便利だった。これは持ってきて正解だった。コンビニの品揃えは貧弱なので、持参した飯がなかったら、まともな飯にありつけなかったと思う。
その日は、コンビニで買った酒を飲みながら、配信して寝た。

2月15日(木)(1日目)

予定通り、フライト時刻の3時間前に成田第2ターミナルに着。指定のゲートに向かうと、異様な人だかりが。同じ便に搭乗する人だと知り、うんざりする。列にも種類があり、自分はレギュラーチケットの列に並ぶ。しかし、後から思うと、その列に並ぶ必要があったのか、疑問がある。なぜなら、受託手荷物がなかったからだ。帰りの飛行機では、専用のカウンターがあって、列に並ぶことなくすぐにチケットを取得できた。しかし、その時点では、そうしたことは知らず、ただ言われたままに並ぶだけだった。出国審査では、ベルトの隙間までかなり念入りにチェックされた(昔はそんなことはなかったと思う)。昼食は、蕎麦屋で摂った。その後、出発ゲートへ向かう。そこで遅延が発生し、1時間くらい出発が遅れた。3時間前に空港に来て、チケット取得に4、50分かかり、さらに遅延というなんともげんなりさせる搭乗までの体験であったが、フィリピン到着後、さらに悪夢のような体験が待っていた。
5時間超の長いフライトの後、ようやくフィリピン上陸できると思っていたら、思わぬ落とし穴があった。出国審査で通らなかったのだ。しかも、係の人の英語は、「オーバーゼア」しか聞き取れず何をしたらよいかわからなかった。その後、別の列に並ぶと、QRコードが必要なことがわかった。そこでようやく何をすればよいかわかった。スマートフォンでフォームに記入していると、ほかに人がいなくなり自分一人だけという状況に。カフカ的悪夢だった。最終的にフォームの記入を係の人に手伝ってもらい、ようやくフィリピン入国を許可されたが、1時間くらいかかったと思う。空港まで迎えにきてくれた友達を待たせてしまい、心苦しかった。やはりフィリピンは暑い。友達と無事合流し、空港で食事した。フィリピン初日の食事はシシグ。有名なフィリピン料理だが、想像していたのと違った。味はあまり覚えてない。友人のコンドミニアムに向かい、近くのコンビニで酒とシーザーサラダとスナック菓子を買う。スナック菓子はコーンを原料としたものだがこれがビールのつまみに最適で、翌日も翌々日も買った。

2月16日(金)(2日目)

2日目はイントラムロスに行く。イントラムロスとは、サンチャゴ要塞やマニラ大聖堂のある有名な観光スポットである。そこまでは、タクシーで行く。イントラムロスでは、観光客相手の業者に付き纏われる。ぼったくり価格であることは間違いない。昼食は、地元民向けの店へ行く。そこでまたしてもシシグを注文(シシグしか知らないので(汗))。見た目は同じだが、空港で食べたものよりも美味しかったように思う。

チキンシシグ

スペイン風の商業施設内で写真撮影した後、マニラ大聖堂へ。巨大な建物である。ゴシック建築というのだろうか。マニラ大聖堂の歴史も紹介されていたが、何度も破壊されていた。それでもまだ存続しているということから、人々の教会へのニーズの高さを伺わせる。

なんという場所か分からないが観光スポットになっていた
カルロス4世の像
マニラ大聖堂
大聖堂内部

次にスペイン統治時代の遺物であるサンチャゴ要塞へ。敷地内は広くカフェもあった。最大の見所はダンジョンだろうか。そこには写真で太平洋戦争時の日本軍の蛮行が記録されていた。戦争の狂気を垣間見せる写真だった。

サンチャゴ要塞の入り口

それからスタバに行くためにジプニーで別の場所に移動。ジプニーとはフィリピンの地元住民の足であり、24時間マニラ市内を走っている乗合バスである。形状は霊柩車を思わせるものがある。もちろん初めて乗るが、かなり難易度の高い乗り物である。専用のアプリで運行状況を確認できるらしい。友達が一緒でなければ乗るのは難しかった。徒歩でスタバに移動する道中だったが、たぶんエルミタ地区の人気の少ない道でスリに遭った。一緒にいた友達が注意してくれたので事なきを得たが、一人だったらスられていたかもしれない。後で『地球の歩き方』を見たところ、そのスリの情報が掲載されていた。

マニラの典型的な商店街
ジプニー
マニラの屋台

帰りはタクシーを使うが、タクシーの運ちゃんが道をわかっておらずハラハラドキドキの体験だった。このときだけでなく、4日目に乗ったタクシーでは、多めの金額を吹っかけられた。とにかくフィリピンのタクシーはトリッキーであり、日本のタクシーしか知らない僕にはカルチャーショックであった。夕食は友人の自宅で手作りのチキンライスを食し、夜遅い時間にお目当てのURBN Makatiというクラブへ。エントランスフィーは男性300ペソ、女性は無料。スタンドテーブル席に案内される。自分の席から移動するのは禁止されているのか皆、席に着いていた。ドリンクがなくなると、小人の店員(なぜか小人が多かった)が御用聞きに来るシステムだった。ドリンクはビールとラムベースのカクテルが1杯当たりの価格だったが、それ以外のウォッカやウイスキーはボトルでオーダーする形式。というわけで、実質的にドリンクの種類は少ない。音楽はHipHopだった。半裸のダンサーやシャンパンガールがいた。一人でも楽しめるだろう。驚いたのはトイレにも店員がいたことだ。フィリピンはやたらと店員が多いのが特徴だ。次に、マニラ最大の歓楽街・ブルゴスへ。きらびやかなネオン溢れる界隈は、深夜でも活気があった。その中のエントランスフィー無料のクラブOCULTOにイン。音楽はクラシックなダンスミュージックだろうか。酒は本格的で美味しかった(それなりの値段はする)。そこに小一時間ほど滞在した後帰宅した。

2月17日(土)(3日目)

3日目はチャイナタウンへ。昼頃に着く。凄まじい人、そして車だった。街はスラム風で、物乞いがいた。女性と赤ん坊の物乞いは日本ではまずお目にかからない。店はどこも行列ができていて、入れない。店を探している途中でストリートフードを食した。鶉の卵を揚げて、串で刺したものである。美味しかった。ピークを過ぎて入ったのは、中華料理屋。台湾ミックスヌードルと野菜の炒めものを注文。味は悪くなかった。食後にカラマンシーが提供された。酸っぱいがレモンほどではない。僕は初めて食べたが、体に良いフルーツだそうである。その後、キアポ教会の中にも入ったが、一瞬で出た。キリスト教徒でない僕には見るものがなかった。

チャイナタウンの一画

次にチャイナタウンから出ている施設運営のバスで、オカダマニラのカジノに行くことに。カジノまではかなり時間がかかった。カジノでプレイしたゲームは、3つのサイコロの目にかけるもの。友達のお気に入りだそう。なかなか面白かった。パチンコやパチスロよりも面白いのではないだろうか。ちなみに多少勝った。
その後は、カジノのバスに乗って、スーパーに寄ってからトライシクルというサイドカーで家に帰った。台車に二人は厳しかった。スーパーでは、フィリピンの激安ウイスキーであるWhite Castleとコーンの菓子を購入。350mlで100ペソくらいだったか。まあ、美味しくはなかったが、ハイボールなら余裕で飲めるのではないだろうか。夕食は手作りのシニガンとポークを使った炒めもの。シニガンは、フィリピンの代表的な料理だ。太陽のトマト麺はちょっと似ているかもしれない。その日は、夜出かけなかった。

2月18日(日)(4日目)

4日目は、アヤラ博物館のあるマカティエリアへ。またしてもタクシーで移動。メーターを回さずに、多めの金額を吹っかけられたが、友人が交渉して適正な金額でOKとなった。
マカティは、チャイナタウンやエルミタとはうってかわって、清潔感のある地域だった。ランチは、ショッピングモールのフードコートでジョリビーを食した。フィリピンの国民食とも言えるジョリビーは、フィリピンに来たら、一度は食しておきたい。チキンサンドを頼んだが、味付けに独特のものがあった。
博物館の入場料はかなり高かった。展示は多数あり、じっくり見たら二時間以上かかるのではないだろうか? 最初の金のコーナーから、フィリピン出身の画家の絵、フィリピンの歴史のジオラマ(これが相当ある上に、一つひとつに英語の説明文がある)の展示があった。画家の絵は西洋画だが、傑作であることは素人目にも明らかだった。

フアン・ルナの絵

次に近くのショッピングモールのお土産売り場でお土産を買った後、ネット検索して見つけた日本の居酒屋レストランへ行く。オープンと同時に入るも、また準備中だった。フィリピンではよくあることのようだ。ドリンクはフィリピンで有名なビール・サンミゲルを注文。メニューは写真付きで、なかなか美味しそうな料理があり、いろいろと注文するもことごとく品切れで笑った。店の奥のホワイトボードを見たら、オーダーした料理のほとんどがOut of Stockに。

Izakaya Kojiro

気を取り直して、焼き鳥を中心に注文。さらに肉じゃがやおでんを注文。それらは日本の居酒屋のほうが美味しいと思う。ただ、最初に注文した野菜サラダは、ボリュームがあって、非常に満足度が高かった。オープン後一時間以内にかなり来客があった。日本人も何人かいた。
その後は徒歩でブルゴス地区に行く。最初HUBのような雰囲気のプールバーでジャックダニエルのロック、コロナと飲んでから、金曜日に行ったOCULTOへ。日曜日はやはり客が少なかった。売春婦も暇そうだった。早い時間なので、DJはいなかった。DJがプレイする午後11時までモヒートやウイスキーなどを飲んで粘っていた。男一人だったら、たぶん売春婦のターゲットになっただろうが、女性と一緒なので放置された(実際、韓国人の男子が店に入るとハゲタカのように群がっていた)。アプローチされることなく、半裸の女性たちを見れるので、得した気分。DJの時間まで配信したりして、DJの音楽を少し聴いてから帰宅。

2月19日(月)(5日目)

朝、近所のコーヒーショップでコーヒーを飲んだ後、Grabで空港へ。帰りのフライトは定刻に出発。機内も空席があった。成田空港では、税関はアプリでできるようになっていた。成田からバスで東京へ。東京から新幹線で新横浜へ。ラッキーなことに行きと同じく暖かかった。ほとんど雨に降られることなく夜22時過ぎに帰宅。

まとめ

一人で海外に行くのは初めてで、特に飛行機に乗るのが不安だった。行きの飛行機の遅延と出国審査で、いきなり洗礼を浴びた形だったが、他にはあまり困ったことはなかった。e-Travelについては、『地球の歩き方』にも載っていたので、見落とした自分が悪いが、後ろのほうに載せずに、カラーの前のページに載せて欲しかった。フィリピンでは当然日本語は通じないので、英語でのコミュニケーションになるが、やはりあまり通じなかったし、聞き取るのも難しかった。でも、状況でだいたい分かるので、慣れればなんとかなりそうな気がする。
天気に恵まれたのは助かった。あと、現地の友達が大きかった。一人なら不安だったと思う。それも一人旅の醍醐味だろうが、リスクも大きい。夜の街大好きな自分としては、ブルゴスが最大のヒットだった。行ったのはクラブとバーだけだが、他にもいろいろなお店があるようだ。マニラに行ったら、毎回訪れたい地域だ。
今回の旅行で体感したマニラの暮らしのマイナス面といえば、治安が悪いこと、トイレに紙を流せないこと、標準的な一人暮らしの場合、部屋にバスタブや洗濯機がないことが挙げられる。トイレにはお尻洗浄のためのシャワーが付いているが、必ずしもうまく使えなかった。携帯式のお尻洗いを持っていくとよいかも。




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