〔民法コラム17〕契約準備段階の信義則上の義務


1 契約締結上の過失の理論

⑴ 意義

 契約締結上の過失とは、契約締結の過程において、一方に過失により相手方に損害を与えたという場合に、信義則(1条2項)を根拠に契約責任と同様の法的保護を認める理論をいう。当初は原始的不能により契約が無効となる場合を念頭に置いた議論であったが、後にその他の場面にも拡大していった。
 この理論の下では、債務者の悪意有過失及び債権者の善意無過失が要件とされ、損害賠償の範囲としては信頼利益に限られるとされた。

⑵ 問題点

 現在は、契約締結上の過失の理論に対しては懐疑的評価が強い。第一に、この理論は不法行為責任の成立要件が限定され、立証の負担も大きいドイツ法の下では中間的な責任を認めるという意味があるが、このような事情のない日本法の下では同理論を持ち出す実益がない。第二に、この理論の下で取り上げられる諸問題には、性質の異なるものが含まれており、ひとまとめにして論じるのは不適切である。第三に、議論の出発点の一つであった原始的不能の契約は無効であるという前提が、現在では否定されている(412条の2第2項参照)。

2 原始的不能

 原始的不能の契約も、これにより無効となるものではなく、債務不履行責任に基づく損害賠償請求をすることができる(412条の2第1項、415条1項本文)。

3 契約交渉の不当破棄

⑴ 具体例

 AがBの求めに応じてマンションの電気容量の変更をしたにもかかわらず、支払額が多額であることを理由にBが契約の締結を拒んだ場合等が挙げられる。

⑵ 責任の法的性質

 不法行為責任説と債務不履行責任説がある(契約締結上の過失の理論に基づく責任が現在では支持されていないことは、上述のとおりである。)。

〈論点1〉契約準備段階における責任の法的性質をいかに解すべきか。
 A説(不法行為責任説)

  結論:不法行為責任である。
  理由:契約が成立していない以上、契約責任を問うことはできない。
 B説(債務不履行責任説)
  結論:不法行為責任のみならず債務不履行責任としての性質を有する。
  理由:本来、契約を締結する前の準備交渉段階では、各当事者は、契約を締結するか否かにつき自由に判断することができるし(521条1項)、そもそもこの段階では、まだ契約は成立していないから、債務不履行責任は発生しない。しかし、契約当事者は、一般市民間における関係とは異なり、信義則の支配する緊密な関係に立つのであるから、たとえ契約締結前であっても、相手方に不測の損害を被らせないようにする信義則(1条2項)上の義務を負うと解すべきであり、違反すれば債務不履行責任が発生する。

⑶ 考慮要素

 ①相手方が契約の締結や債務の履行に必要な準備行為を始めたことを知りながら黙認する等の当事者の先行行為があったか否か
 ②交渉の進捗状況がどの程度にまで達しているか(契約条項の大部分が合意されているか)

⑷ 効果

 416条の損害の範囲に従い、損害の賠償を請求することができる。もっとも、契約締結に至っていないため、損害賠償の範囲は信頼利益に限られるのが通常である。

4 (契約締結前における)情報提供義務

⑴ 具体例

 マンションの売主が、隣接地に高層建築物が建つのを知りながらこれを説明しなかったため、マンションの買主が日照時間の減少等の被害を被った場合等が挙げられる。

⑵ 責任の法的性質

 契約交渉の不当破棄の場合と同様の対立がある。
 判例には、債務不履行ではなく不法行為と構成したものが存在する(最判平23.4.22)。

⑶ 考慮要素

 ①相手方が当該情報を契約締結前に知り、又は知ることができたか
 ②その当事者の一方が当該情報を契約締結前に知っていれば当該契約を締結せず、又はその内容では当該契約を締結しなかったと認められ、かつ、それを相手方が知ることができたか
 ③契約の性質、当事者の知識及び経験、契約を締結する目的、契約交渉の経緯その他当該契約に関する一切の事情に照らし、その当事者の一方が自ら当該情報を入手することを期待できたか
 ④その内容で当該契約を締結したことにより生ずる不利益をその当事者の一方に負担させることが、上記③の事情に照らして相当か

⑷ 効果

 416条の損害の範囲に従い、損害の賠償を請求することができる。この場合、説明義務違反として履行利益の賠償も可能である。

[重要判例]
・契約準備段階の過失(最判昭59.9.18百選Ⅱ(第8版)[3])
・契約締結前の説明義務違反と当該契約上の債務の不履行による損害賠償責任の成否(最判平23.4.22百選Ⅱ(第8版)[4])
 この判例は、信義則上の説明義務違反により、本来締結しなかったはずの契約を締結させられた事案であり、適切に履行した場合、契約の不成立を導くような説明義務を、本来的な契約上の義務と構成するのは背理としたものである。したがって、本判決の射程は限定的であり、契約締結の準備段階の過失一般において債務不履行責任を否定するものではないと考えられる。

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