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ことばの力

私は文章を綴るのが好きだ。言葉というものが好き、と言ったほうが適切かもしれない。想いとか気配とか、目に見えないものまで伝えることができて、音やリズムをのせて味わうこともできる大切なツール。なかでも、この繊細な日本語が母国語であることを幸せだと思う。

まあ、私に日本語と同じくらいに使いこなせる言語がある訳じゃないので、同じように繊細で美しい言語が他に存在していても、認識できる訳がないのだけれども。

小学生の時、英語を話すことに憧れて、英会話スクールに通わせてもらった。毎週ワクワクしながら新しく覚えた単語を使ってゲームをしたり、英語の歌を歌ったりした。

大学ではイタリア語学科を選んだ。リズミカルで歌っているような調べが魅力的だったし、ファッションや芸術や食べ物や、楽しそうなものがとにかくたくさんあったからだ。きちんと知ってみると、単純に見えたイタリア人は想像したよりもずっと複雑で繊細な人たちで、思った通り魅力的だった。

残念ながらはっきりしたのは、英語にしろイタリア語にしろ、私は言語学のプロフェッショナルにはなれそうにないこと。だけど、言葉を学ぶことで、いや学んだ言葉を使うことによって、間違いなく私の視野は広がった。

自分と異なる感性を持つ人たちと直接コミュニケーションするのは、波長の違うセンサをもって情報を捉えるようなもの。たとえ自動翻訳万能の時代が来たとしても、自分を表現し相手を理解するための道具を使いこなすことは、人生を豊かにすると思う。

どうしてまたこんなことを、つらつらと考えたのかというと、落合陽一さんの著書「働き方5.0」がきっかけ。「どうありたいかを言葉で表現すること、つまり言語化の力が大切」と述べられていたのが、心に残ったからだ。

玉石混交の情報洪水のなかで暮らしている私たち。そこから価値ある文脈を見つけ出すのは、いわば砂金探しだ。クリエイティブクラス人材になるためにはその力が必要ということなんだろうな、と。

自分を表現する道具であるのと同時に、言葉は論理思考のツールでもある。主張したいロジックが定まらない時、ぐらついている視点をひとつづつ言葉にして表現すると、徐々に考えが整理されていくものだ。

価値ある文脈は、適切に言語化されてはじめて他者に正しく伝わり、正しく伝わってこそ誰かと価値観を共有できる。チームづくりのためにも、欠かせないツールなのだ。

だから口に出す言葉、人に見せる文章は、慎重に丁寧に選ばなきゃ。日本語には「ことだま」って表現もある。で、英語やイタリア語でどう説明するのか気になって辞書を引いてみた。

「POWER of WORDS」「SPIRITO di PAROLE」 
うーん、ちょっと違うような …。


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