自分にとって大切なもの
同期が会社を辞めてダンナの赴任先に引越すと聞いたのは、ふた月ほど前。最終出社日は翌日だというが私はテレワーク。知らせてくれた別の同期も、そのことを知ったばかりだという。新入社員だった頃、同期女子でつるんでよく遊んだ。就職で初めて首都圏に来た私は土地勘もなく、東京で生まれ育った彼女たちに何かと助けてもらった。もう30年以上前のことだ。
大勢いたバブル入社組も少しづつ辞めていき、今も残っているのは2割もいないだろう。それぞれの生活が確立していき、この頃は皆で集まることもなくなっていた。懐かしいなあ、と思いつつ「見送りには行けないけど、よろしく伝えてね」と返信した。
しばらくして、またLINEがきた。彼女が海外に引越してしまう前に、久しぶりの女子会ランチはどうかしら?というお誘い。夏の初めに買ったまま着る機会のなかったトロピカル柄のワンピースの出番が来た、と思った。
快晴の秋空。というより、むしろ夏休みのような雲の浮かぶ暑い日だった。昔よく行っていたイタリアンレストランは変わらず賑わっていて、3人でテーブルを囲むと、時間がぐーっと戻っていった。
せっかくだからと、まずスパークリングワインをグラスで頼み、メニューを選び終えると、私はすぐに聞きたかった質問をした。「いつ決めたの?」
久々なのに、いきなり問い詰めるなんて失礼かなあと、会う前は思っていたのだけれど、いざ顔をみたら遠慮は消えていた。彼女のダンナは、同じ職場の一年先輩。海外駐在は初めてではなくて、ずっと単身赴任だったはずだ。当時の彼女は「いまさら会社辞めちゃうなんて、もったいないもんねー。」と言って、さらりと送り出していたのだ。
「ええとね、決めたのは、3月頃かな。」
「えー、それって最近じゃん!」
驚いた私はさらに問い詰めた。
「なんで?なんかあったの?」「うーん、そうだなぁ。」
彼女は、昔と同じゆっくりした調子で、考えながら答えてくれた。
ダンナを2度目の海外赴任に送り出す時、自分も行こうという気持ちは特になかったそうだ。彼らのところには、歳の離れた3色3匹のトイプードルがいて、とても一緒に行けるとは思えなかったから、と。
ワンコたちを溺愛しているパパさんは、毎晩ビデオ通話の向こうから、必死に三匹に呼びかけているそうだ。だけど、小さな画面の向こうから声をかけられても、ワンコたちの反応は今ひとつらしい。それはまあ、そうだろう。
「でね。なんだか切なくなっちゃったのよ。」
ふむ。…帰国がいつになるかはまだ分からない。10歳を超えた一番上のワンコは、もうあまり走り回らなくなったというし、パパさんが一目惚れして末っ子となった一番下のワンコは、二歳になったばかり。可愛い盛りだ。そして、三匹と一緒に過ごせる時間は、そんなに長くはない。
調べてみると、ちゃんと手続きさえすれば、皆一緒に暮らせると分かった。しかも日本よりワンコフレンドリーな彼の地では、一緒に出かけられる施設も多いらしい。そんなこんなで「もういいかなあと思って、決めちゃった」のだそうだ。
そうかそうか、そうなのか。彼女はこうも言った。「別に贅沢したいわけでもないし、平和に暮らしていけたら、それでいいかなと思って。」
昔の彼女は「働けるうちは二馬力で稼がなきゃね」なーんて、言っていた。面倒なことは嫌いなはずなのに、渡航手続きのあれこれを、自らどんどん進めている様子にも驚いた。あの頃とは違う大切なものを見つけたからなんだなあ、と思った。自分の大切なものを守るためなら、ややこしい書類作成だって、いわゆる「やらされ仕事」じゃないんだ。
次の予約のお客さまが到着した、というのでレストランを出て近くのティールームに入った。昔の想い出から、今の生活のあれこれ。自分たちの健康のことや、年老いた親たちのことなど、そこでも話題は尽きなかった。二時間制なのでそろそろ…、とお店の人に促されて、私たちは渋々店を出た。外は相変わらず強い陽射しが照りつけていた。また必ず会おうね、と駅で言い合い、おのおの家路についた。
確固たるものと信じていた価値観も、実はあの季節特有な気分だったのかもしれないな、と今は思う。体力に満ちていた若さは懐かしいけれど、当時は見えていなかった景色が見える今の年代も悪くない。
これからは自ら選びとった道を、ひたひた地道に歩いていくのだー。おー!
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