【安心】応募した作品がちゃんと受け取られてました。

 こんにちは、山本清流です。




 今日、9月20日は、何の日でしょう?

 実は、メフィスト賞の8月応募受付作品の公開日です。




 僕は、先月末にメフィスト賞に『ホクロ男』という作品を応募しました。





 すぐ応募受付メールは来ましたが、やはり、不安でした。

 一生懸命に書いたのに、手続きミスで編集者の方に届かなかったら最悪です。






 今日、メフィストのホームページで公開された8月の応募受け付け作品一覧の中には、ちゃんと『ホクロ男』がありました。

 一安心です。





 とりあえずこれで、読んではもらえる。

 もう読み終わってるかもしれませんが。






 今回は、応募作品が多いです。

 以前は、もっと少なかったような気がします。競争率はたぶん、高い。






 どうなるか、わかりません。

 考えると不安もありますが、楽しい気持ちも多いです。





 楽しみに待っているうちに、なんの一報もなく終わり、見知らぬ作品が受賞している。

 そういうことを、いままで何回も繰り返してきました。





 それにも懲りず、またもや僕は楽しんでいます。

 不安もあるけど、楽しい。これだから人生は面白い。




 成功したあとよりも、きっと、成功を目指しているときのほうが楽しい。

 目指すものがなくなったら、人生は退屈です。




 受賞したら、たぶん、夢のように遠くに見えていたものが現実に落ちてきて、

 いままでと同じ日常生活の中に埋没し、空気のように見えなくなります。





 だから、受賞するかもしれないと待ち構えている現在こそ、別の意味で楽しくて、

 その楽しさは、おそらく受賞後にはないものではないでしょうか。





 そんな心持ちで僕は、現在を味わいながら、安らかな日々を過ごしています。 

 この現在に対する美化は、あるいはただ、落選したときのショックを和らげるための保険として存在しているのかもしれません。





 そこまで穿たなくても、美しさに嫉妬していることは間違いないのです。

 美しく煌びやかなものを見てしまうと、そこにすがりつこうとしながらも、

 同時に、それを貶そうとする反発心も湧いてきます。





 露骨に敵意を剥き出すほど原始的だと思われたくない僕としては、

 美しいもの自体を悪く言うことはありません。




 むしろ回りくどく、それよりも劣っているものについて、いや、実は、これもこれでたいへん美しいものなんだ、とすごい発見をしたかのように盛り上げて、

 美しいものに対するエゴイスティックな感情をはじめからなかったかのように偽装し、

 そして、狡賢く、虎視眈々と美しいものに手を伸ばそうとせずにはいられない。





 いま、僕はこの状態。

 つまり、受賞したい! という素直な気持ちと向き合うことができず、

 まあ、べつに、受賞しなくても人生は楽しいしな、と己に言い聞かせているところです。





 よくないところです。

 こういう歪み方をしているから、僕はあまり人に好かれないのです。 

 まったく、困ったものです。