【日記】なんでウンチをしなければいけないのか?
数日前、ひさしぶりに幼馴染みの親友が帰郷してきたから、ふたりでスシローとカラオケに行ったのだが、すごく楽しかった。
ぺろぺろ少年事件があったスシロー正木店は空いていて、居心地がよかった。
2年くらい行ってなかったカラオケでは、失恋したこともないくせにbacknumberの「ハッピーエンド」を熱唱しました。
気分がスカッとしました。
ホントに楽しかったです。
その楽しい感じを保存しておきたかったと言いますか、なんと言いますか……。
いまの僕には彼しか友達がいないので、ホントに貴重な時間だったわけです。
また家に籠る生活に戻るのは嫌だなー、という感じで、自分の生活にそれほど満足していなかったことに気づいたわけでありますが、
まあ、この楽しい感じが1週間くらいは保つだろう、と楽観していました。
しかし、僕は、もうすでに、平常状態に戻ってしまいました。
たぶん、トイレのせいです。
トイレに行って、ウンチをするたびに、
ああ、なんで、僕は孤独にウンチをしなければいけないんだ? と憂鬱になります。
誰かと一緒にウンチをしたいわけではありませんが、
ウンチをするときに、それはもう惨めな気持ちになります。孤独な感じがスパイスになっている。
できることなら、こんなに汚らしい自分を隠しておきたいのですが、トイレに行くたびに対面させられることになります。
便意の衝動があるときは深いことは考えていないのですが、冷静な気持ちでトイレに行きますと、その自分の姿がたいへん恐ろしくグロテスクでありまして、もう見ていられません。
せっかく楽しい時間を過ごしたとしても、ウンチが出なくなることはないのかと思いますと、もう救われませんね。
人間というのはすごく残念です。
たしかに、『みんなもウンチをする』というセリフは慰めになりそうですが、
それは絶望のメッセージでもあります。そうか、みんなの腸の中にもウンチが入っているわけだから、たとえば、グサっとナイフで腹部を刺しますと、ドロドロとウンチが流れ出てくるわけなのか、という同族嫌悪みたいな。
いや、それよりも、その汚さを隠し通せているということに、耐え難い嫉妬を感じてしまいます。
あの人もウンチをするだろうが、その気配がまるでない。その完璧さに、僕は勝てないのです。
だから、僕は、最近、トイレに行きたくありません。
そして、あまり大きな声では言えないわけだけど、そのほかの生理現象にも不快さが増していて、ネガティブになります。
そういう状態。
自分が気持ち悪くなってしまうと、小説を書くモチベーションも下がりますね。こんなの書いたところで気持ち悪がられるだけだろ、みたいな。
でも、書きたい気持ちです。それ以外に、褒められたことがないので。