この記事を、ぜひ、見てください【小説新人賞に落選しても落ち込まない方法】
こんにちは、山本清流です。
いままで6回も新人賞に落選していますが、あまり落ち込まないメンタルです。
なぜ、落ち込まないでいられるのか、持論をご紹介します。
この考え方が誰かの役に立てるのではと思い、急遽、衝動的に記事を書きました。
いまの心の声は以下のとおり。
作家になれる人は二種類いると思う。ひとつは、才能型の人で、ほとんど一発で新人賞を受賞してしまう。もうひとつは、努力型の人で、何度も何度も落選するけど、書きつづけているおかげで、いつか受賞する人。後者の場合、落選することが当たり前。落選したときに、落ち込まないためには、評価軸の混乱について自覚する必要があるかも。
今回は、この心の声の後半部分、「評価軸の混乱」についてお話しします。
たぶん、人間の心理的傾向なので、これを自覚しているだけで大きいと思います。
【落選したときに落ち込む理由】
ずばり、「評価軸の混乱」が生じているからです。
作品が落選したのは「作品の完成度が低い」または「作品が面白くない」からですが、なぜなのか、「自分の完成度が低い」または「自分はダメな人間だ」などという、評価軸の混乱が発生しがちです。
これは、明らかに外れた評価です。
新人賞は「作品を選考する賞」なのであり、「あなたの人格を選考する賞」ではありません。
【求人の例を想像してみよう】
求人で考えてみましょう。
企業は、「社内で活躍できる人」を探しています。
もっと言えば、企業が求めているのは、「社内で活躍できる能力」ですよね。
対価を払ってもいい能力を探しているわけです。
そこに大勢の志望者が集まってきて、選考をして、優秀な人を選んでいくわけですが、
企業は、あくまでも「社内で活躍できる能力」が欲しいのであって、はっきりと言えば、「その能力さえあればそれでいい」のです。
小説新人賞においては、小説を書くという技術・能力・想像力などが選考の対象なのであり(もっといえば、作品そのもの)、選考対象以外のその人の性質は問題にならないのではと思います。
たとえば、プログラマーを雇いたい経営者は、応募者のプログラムの技術がわかればいいのであり、いかに女性を口説ける技術を持っているかを知りたいわけではありません。
【漠然と考えてはいけない】
新人賞に限らず、です。
たとえば、ある作品Aが評価されているとき、
その作品Aが評価されているのは、多くの場合、「その作品が面白いから」です。
しかし、評価軸が混乱すると、「その作品の主張が正しいからだ」とか、「作者が愛に満ちているからだ」などと曖昧に考えがちです。
このようなコメントを目にしたりしますが、そのようなコメントは「その作品がなにによって評価されているのか」を見失ったコメントだと、個人的には思います。
エンタメ作品は、エンタメと名乗っている以上、「面白い」以外の基準で語るのは、評価軸の混乱だろうと思います。
ほかの基準で語りたいときは、評価軸を切り替えたことを自覚している必要があるでしょう。(もちろん、いろいろな基準や視点からひとつの作品を味わったり、批評してみたりするのも楽しいと思います)
【すべてにおいて一流な人はいない】
これは本当に、日々、感じているところなのですが。
背の高さを評価されて「背が高いです賞」を受賞して世に出た人が、なぜか、「心臓が大きい」と評価されているような状況が、世の中にはけっこうあるような気がしませんか?
意味不明な例えで恐縮ですが、本当にそういうことがたくさんあると思うのです。
心理学では、ハロー効果と呼ばれるものかもしれません。
曖昧に「よい」「悪い」を考えていると、基準を見失い、評価軸が混乱します。
有名な芸能人の言葉がすべて正しいわけではないし、一流の生物学者が経済について詳しいわけでもありません。
他人だけでなく、自分を評価する際にも、全面的な評価ではなく、部分的な評価を導入することがおススメです。
【例えば】
わかりやすい例を言えば、
血で血を洗うようなスプラッター・サスペンスみたいな映画がヒットしたとします。その映画では、「頭に来たら、人を殺せ」という思想が流れているとします。
なぜ、その映画がヒットしたのか、と言えば、「その作品が面白かったから」です。
もちろん、ヒット要因としては、広告とか、需要の抽出とか、値段設定とか、ほかの映画の公開状況とか、いろいろあると思いますが、その作品が「面白い」のは前提条件でしょう。
重要なのは、「面白い」から「ヒットした」という因果関係であり、
「頭に来たら、人を殺せ」という思想のおかげで「ヒットした」わけではないということです。
観客は、「面白い」という口コミを聞いて集まったのであり、「頭に来たら、人を殺せ」っていう思想を聞いて集まったわけではありません。
「面白いか否か」という基準を見失い、「テーマの卓越性」というようなべつの基準に視界が持っていかれるのは、評価軸の混乱であり、ちょっと誤っていると僕は思ったりすることがあります。
それと同じことが、新人賞落選時にも発生する場合があるでしょう。
単純に、落選した原因がなにかあるはずなのですが、小説新人賞となると、時間と労力を注ぎ込んでいるだけに全面的に否定されたように感じてしまいます。
こういうとき、「自分はダメなんだ」と結論を急がずに、まずは、「なにがダメだったのか」を考えると、問題点が見えてきます。
誰かに作品を読んでもらい、意見をもらうと、より問題点に気づきやすいかもです。
「キャラクターには魅力がないので、ここは努力しなければいけないが、文体はまとまっているな」などのように、部分ごとの評価を崩さないことがおススメ。
評価軸を明確にする、というお話しでした。
【あなたそのものを否定することはできない】
ひょっとしたら、落選したとき、こんなことを考えたりしていませんか?
あの作品の中の、あのセリフ、気持ち悪いと思われたのかな……。そんなセリフを書く自分も気持ち悪いと思われたのかな……。
あの作品が主張していることは、受け入れてもらえなかったのかな……。わたしの人格はおかしいのかしら……。
あの作品は痛々しくて、ぺえぺえだと思われたのかな……。おいらはダメ人間なのかねぇ……。
僕は、ここらへんのことで悩んでいるときもあったのですが、
よくよく考えてみると、「これって、人格否定にあたるんじゃないか」ということに気づいて、そんなことできるはずがない、と思い直しました。
【人格は常に守られている】
多くの選考委員は、あくまでも「作品を評価しよう」という姿勢で臨んでいるはずです。
間違っても、「あなたそのものを評価しよう」などとは思っていません。
そんなことやったら、大きな問題になります。
この「評価軸の区別」ができていれば、落選しても、冷静に考えられるはずです。
どうすれば受賞できるのか、冷静に考え直し、また次の作品に挑戦できます。
不適切な表現があったならそれを直し、表現が稚拙だったならよりよくするよう努力することができます。
【当たり前のことで、恐縮】
以上。今回の内容は当たり前のことなのですが、
いざ新人賞で落選したとなると、ネガティブモードになりがちなので、
この記事が少しでも役に立てればと思って、書きました。
話がまとまらず、読みにくかったかもしれません。なんとなく言いたいことが伝われば、幸いです。
以上です。お節介だったら、申し訳ございません。
では。山本清流でした。読んでいただき、ありがとうございました。