【『拷問投票』制作日記11】伏線みたいなものを仕掛ける。

 みなさん!

 問題なく『拷問投票』は、40×40で、126ページを突破しました。ついに150000字を超えました。







 今日は、伏線みたいなものを仕掛けていました。

 ミステリじゃないけど、びっくり要素があったほうが面白いと思いまして。ラストのための伏線です。



 





 現在も、これといったトラブルはなく、満足しながら書いてます。

 資料漁りのほうも順調です。刑法については理論から実践まで把握してるので、いまなら刑事弁護できそうです(それは無理だと思う)。








 あえて問題を挙げるとすれば、精神状態がわりと不安定なことです。

 いまのところ、執筆に影響は出てないと思いますが。






 それでですね、最近、僕が気づいたのは、

 ほとんど無理なことを持続すると絶対無理に収束する、ということです。








 僕の場合、敏感すぎるので、基本的に人間関係はつくれないです。これはほとんど無理なことです。

 不可能なわけじゃありません。友達を作ることに成功し、青春っぽいことをしたこともあります。でも、それを持続しつづけるのは絶対に無理なことです。



 





 高校生のときは、半年間だけ頑張ったけど限界を迎えたので、友達をいっせいに消去しました。高校のときの友達でいま繋がってる人はひとりもいません。

 これは自分でも、ひどいな、とは思うのですが、もう一回やっても確実に同じことをする自信があります。というか、次やったら、たぶん、1週間でリタイアすると思います。







 限りなく無理だからです。

 たとえば、僕は1日おきに腹筋連続50回と腕立て伏せ連続50回をやってるのですが、これはほとんど無理なことですが、不可能ではありまさん。だから、やってます。

 でも、これを継続し続けることは、絶対に無理です。いまから腕立て伏せを始めて、明日までずっと、何万回も連続でやりつづけてください、と言われたら、無理ですよね? 僕は無理です。50回ができるのだから、51回もできる、52回も、53回も、困難だができないことはない、でも、それをやり続けると限りなく不可能になる。

 高校のときの半年の死闘の末に、ついに友達と縁を切ることにしたときの僕の心境はまさに、そんな感じでした。これで腕立て伏せ連続65638回、次はどうする? もう無理だ、このままだと死ぬ、無念だがここで終わりにしよう、ああ、みなさん、さようなら、せっかく友達になれたのに残念だ、ごめんなさい、みたいな。







 

 高校のときは本当に頑張ったな、と思います。いま、あらためて振り返ると、高校のときの自分が神様みたいに見えてきます。

 当時は、ほとんど無理なことを継続してました。毎日、友達に声をかけるたびに心臓をバクバクさせて、重たい体を引きずって動かして、精いっぱい笑顔を振りまいて、いい人を演じていました。優しい、とさえ評価されました。







 いまは、自分のことを昔より理解してるので、そういう無謀なことはやりません。
 
 でも、あのときの闘志みたいな、なんていうか、とてつもないハングリー精神みたいなのがまだ残っておりまして、








 他人から否定されたり、嫌われたり、あるいはそういう種類の妄想が起こったときに、

 あのときの命令が蘇ってくるんです。それはわかりやすく言えば、いまからずっと努力を続けろ、という命令です。








 その命令が聞こえてきたときに、

 僕の精神は平穏から引きずりだされます。








 現在の僕の心の不安定は、主に、この命令が聞こえたときに発生します。

 この命令に服従したら不可能なことに取り組まねばならなくなるから、現実的には、この命令を拒否するしかありません。でも、それが難しい。だって、社会的には正論だから。








 小説を書いたり、なにかの勉強をしたりして没頭すると、

 この恐ろしく無謀なのに説得力のある命令が、一時的に聞こえなくなるんです。命令との全面衝突を避けながら静かに命令に反発できるのです。そういうときに幸せを感じます。








 努力をしろ、という命令から逃れるためには努力をしてはいけません。小説執筆という活動を努力と結びつけてはいけない。

 だから、僕は、小説を「楽しく」書いているし、そう自分に思い込ませようとしてます。








 僕が最近、このブログで「楽しく」小説を書いていると主張していることには、おそらく、そういう背景があるのでしょう。

 なんとなく気づいてました。僕は現在、そういう状況です。


 長々と読んでいただき、ありがとうございました。