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【考察】人のバッドエンドを笑うな
こんにちは、山本清流です。
今回は、「バッドエンドのメリット」について考察したいと思います。
なぜ、急に考察したくなったか、というと、この世界ではバッドエンドが不当に低く評価されているのではないか、と思ったからです。
たしかに世間的にはハッピーエンドが好まれますし、テレビではハッピーエンドばかり流れています。
ハッピーエンドのおかげでポジティブな気持ちになれることもあるでしょう。
しかしながら、バッドエンドにも一定のポジティブな効果があると、僕は考えているのです。
そこのところについて、ちょっと、ふかーくお話しましょう。
【物語は影響を与える】
まずは、このポイントについて、共有しなければいけません。
「たかが小説、たかが映画」と言えばそれまでですが、
「されど小説、されど映画」という観点を切り捨てることもできません。
実際、僕たちは物語から大きな影響を受けています。
知らず知らずのうちに、小説に登場した言い回しを真似したり、映画で知った考え方を披露していることもあるでしょう。
多くの人間はコピー機みたいなものであり、もちろん、僕もコピー機の一種です。
物語は、僕たちが想像する以上に、広範な影響を与えているのです。
【物語は価値観を形成する】
人間の価値観を左右しているのはさまざまな情報(あるいは先天的な気質)ですが、
小説や映画といった文化的情報も、価値観を左右する情報のひとつです。
【例】
たとえば、友情を描いた映画を観たとしましょう。
すると、友情を大切にすることはいいことだ、という価値観が植え付けられます。
このようなことが、物語に触れる多くの人の中で頻繁に発生しているのです。
【では、ハッピーエンドが与える影響は?】
ハッピーエンドは明るいエンディングで終結するわけですから、
それを見た人は、それまでの物語のプロセスを肯定的に判断します。
【例】
たとえば、ふたりの男女が結ばれるハッピーエンドがあったとしましょう。
すると、その作品の中でストーカー並みに異常な行動をしていた登場人物の行動も、「これは正しい行動なのだ」という理解に終わりやすいです。
また、寝る間も惜しんで心身の不調を訴えながらも勉強しつづける物語があったとしましょう。
その物語がハッピーエンド(合格)に終われば、あのような苦しい勉強は正しいのだ、という理解に終わりやすいです。
ハッピーエンドの物語は、「なにをすれば、ハッピーエンドになるのか」という問題について示唆するような構造になっています。
【バッドエンドが与える影響は?】
一方で、バッドエンドは苦しい結末で終わるわけですから、
それを見た人は、それまでの物語のプロセスを否定的に判断します。
【例】
たとえば、殺人鬼に追われ、トイレに隠れた主人公が、殺人鬼に見つかって殺される物語があったとしましょう。
すると、人間は、「狭いところではなく、広い空間に逃げたほうがよかったのではないか」といった判断をしはじめます。
現状を否定し、解決策を提示したくなってしまうのです。
バッドエンドの物語は、「なにをすれば、バッドエンドになるのか」という問題について示唆するような構造になっています。
それゆえ、「なにをしなければ、バッドエンドにならないのか」についても示唆を与えます。
【ハッピーな信念と、バッドな禁忌】
以上のように考えていくと、ハッピーエンドが王道的な信念を導きやすいことが、想像されるのではないでしょうか。
それは、ときに、「努力すれば報われる」かもしませんし、「挑めば後悔しない」かもしれませんし、「人は成長できる」かもしれません。
一方で、バッドエンドが慎重な禁忌を導きやすいこともまた、想像されるのではないでしょうか。
それは、ときに、「口は災いの元」かもしれませんし、「リスクをとるな」かもしれませんし、「感情的な行動は慎め」かもしれません。
こう考えると、バッドエンドにも一定の必要性があることを実感していただけたのではないでしょうか。
バッドエンドは、王道的な価値観や考え方に対する補足を与えるような効果があるのです。
ただし書きみたいなものです。
「大勢で一緒に考えると良案が出やすい(王道的価値観)。ただし、多すぎると混乱を極める(補足)」というような感じです。
【ハッピーエンドはアクセル、バッドエンドはブレーキ】
また、以上のような特性から、アクセルを踏んでいきたいときはハッピーエンドが適していますし、
思い切りブレーキを踏みたいときはバッドエンドが適しているのでしょう。
ハッピーエンドは思い切った行動を促す一方で、バッドエンドは慎重な行動を促すからです。
バッドエンドは、心のブレーキとして機能するのです。
【不条理な現実を知る】
以上のような議論にはたしかにうなずけるが、しかし、バッドエンドが常に条件付きとも限らないのではないか、と感じた方もいるでしょう。
ときに、なんの条件もなく、ただ不条理にバッドエンドがやってくる物語もあります。
しかし、僕は、それもそれで、ひとつのメリットだと考えます。
世の中には、不条理なことが多くあるようです。
真面目に生きていたって、不幸にはなるし、
全力で挑んでいても、嘲笑に終わることもあります。
そういうことへの受容力(あるいは理解)を高めることも、バッドエンドのメリットでしょうか。
世の中には、ハッピーエンドの物語が描くプロセスと同じように生きていたのに、終わり方だけバッドエンドになった、というような人が数えきれないほどいるのではないでしょうか。
バッドエンドに触れておくと、そういうこともあるなぁ、という感じになれます。
【人のバッドエンドを笑うな】
というわけで、まとめると、バッドエンドのメリットとしては、
①慎重な考え方が身につく
②心のブレーキになる
③不条理を受容する
このようなところでしょうか。
しかしながら、僕は、そのような難しいことを考えながらバッドエンドを書いてきたわけではありません。
バッドエンドを書いてきた自分を肯定するために導き出した理屈に他ならないのです。
だから、結論としては、「好み」ということです。
これだけ、言わせてください。