バイト挨拶法違反の成否に関する第1審判決


       主文

 被告人xを無罪とする。


       理由


(事実)
 被告人xは、岐阜県内にある勤め先の職場にて、その5階の廊下で令和4年11月15日午後2時30分ころに外部のスタッフaとすれ違い、aと目があったとき、わずかに頭を下げたのみで終わらせようとしたが、その際にaから「こんにちは」との十分な声量による挨拶を受けたため、これに応じるために仕方なく「ちわーす」と言葉を発したものである。
(証拠の標目)省略

(弁護人らの主張に対する判断)
第1   弁護人は、判示の事実について、①バイト挨拶法第4条の第3項における外部のスタッフに対する挨拶の規定はあくまでも挨拶するときの言葉の区別を明らかにするための確認規定にすぎず、「ご苦労さまです」と挨拶することを強い義務として要求しているものではなく、②すれ違ったa自身も「こんにちは」と挨拶していることから、同法第2条における受動的挨拶に及ぶためには「ご苦労さまです」を用いることが法律上不可能であり、③「ちわーす」という言い方が正式な挨拶の用語でないことはたしかであるが、現時点における若者言葉としては一般の感覚で挨拶として相当と認められる言葉であることに間違いはなく、④xは当初aが挨拶未遂に及んだものと判断したうえで挨拶未遂に及んだのであり、挨拶の義務が免除されたと考えたことには当然の合理性があり、以上の点からして法律上の義務に反したところはないと言うべきであり、よって被告人は無罪であると主張する。そこで、以下、弁護人による上記主張を踏まえ、バイト挨拶法第2条、第4条及び第7条に関する義務違反の成否について検討する。
第2   前掲掲載の各証拠により、次の事実を認定する。
 (1)被告人xは、11月15日の午後2時30分ころまで、勤め先の会社ビルの5階で、言葉を発することなく黙々と業務に当たっていた。
 (2)午後2時30分ころ、xは業務に必要な道具をひとつ5階の階段の踊り場に置き忘れていることに気づき、小走りで踊り場へと向かい、廊下を進んでいた。
 (3)その際、別途の業務のために同会社ビルの5階にエレベーターで上がってきたaと、エレベーターの扉が開いたことで、そのときxは目を合わせた。
 (4)aはxと目があったことを認識したものの、ちょうどエレベーター内に落ちていた小さな埃が気になり、少し頭を下げて、エレベーターの床をじっと見つめた。
 (5)その動作を確認したxは、aが挨拶に類する意思表示をしたのだと誤解して、挨拶未遂のつもりでわずかに頭を下げ、廊下を進んで通り過ぎようとした。
 (6)しかし、想定外のことにaが「こんにちは」と挨拶をしてきた。
 (7)xは驚いたが、社会常識として挨拶を無視することはできず、慌てて「ちわーす」と言葉を発し、それから廊下を抜けて、5階の階段の踊り場へと進んだ。
第3   バイト挨拶法第2条、第4条及び第7条に関する義務違反の成否について
 これまで認定した事実関係によれば、xは踊り場に置き忘れていた道具を取りに行こうとした際に外部のスタッフであるaと遭遇していたため、そのとき頭の中が道具のことで支配されていたxがaと目があったものの即座に挨拶しなかったことについては社会常識としての理解で十分に容認できる。又、aがエレベーターの床の埃をじっと見つめたことを挨拶未遂だと判断したことに過失はなく、その判断に基づいてわずかに頭を下げたことは、因果関係として良好である。そのまま廊下へと抜けようとしたxが「こんにちは」とのaの言葉を受け、本来は同じように「こんにちは」と返すべきところ、咄嗟に「ちわーす」と応じたことについても、緊急における仕方がない誤りとして容認できる。そうでなかったとしても、バイト挨拶法において指定された挨拶の言葉が限定列挙でないことは文理上明らかで、「ちわーす」という言い方は「こんにちは」と同等の意味であることは社会常識として通用していることから、これを挨拶として認めないという判断は厳格に過ぎる。挨拶として認定され、且つ、「こんにちは」と同義だと社会的に認められるのならば、これは実質的には受動的挨拶として認められる。同法第4条の規定は言葉の区別を明らかにするものであるとはいえ、「しなければならない」という表現からして義務として命じていると解すべきであり、弁護人の主張の①は受け入れられない。しかし、上で述べたとおり、受動的挨拶としては成立しているし、逆に「ご苦労さまです」と返していたら受動的挨拶として成立していなかったと想定されるため、この点についても義務違反は問えない。したがって、弁護人の主張の②③④は採用される。
第4   結論
 以上の通りであるから、本件について被告人xは無罪である。
 なお、そもそも罰則が生じない義務違反に関する事件をこのように詳細に審理したことについては、たいへん疑問である。