【悪用厳禁】読者を苦しみの果てに追いやるための小説の書き方

 こんにちは、山本清流です。


 読者が病んでしまうような恐ろしい小説を書きたいと思ったことはありませんか?

 そういう小説を書くにはどうすればいいのか、考えてみました。 


 要約は以下のとおり。

 小説には、感傷的な小説と、禁欲的な小説がある。禁欲的な小説のほうがリアリティーがあり、ひりひりするような生々しさを表現できる一方、感傷的な小説では、主観的な世界の中にどっぷりと沈み込んで気持ちのいい時間を提供することができる。読者を苦しませようと思うなら、とことん禁欲的に書くべきではないか。

 以下、深掘りしていきたいと思います。

 僕が最近、考えていることなので、よかったら、一緒に考えてみちゃってください。


 【感傷的な小説と、禁欲的な小説】

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 僕は、最近、この二分類について考えることがあります。

 感傷的か、禁欲的か。


 僕の感覚によれば、名作とか傑作とか呼ばれているものは禁欲的な傾向が強いけれど、ベストセラーとかいって短期的に売れる小説は感傷的な小説が多い傾向です。


 とはいえ、いきなり、禁欲的、感傷的、とか言っても、いったいなんのこっちゃか、わからないと思います。

 僕の定義は以下のとおり。


 【定義】主人公が世界を支配している小説が感傷的な小説で、主人公が世界を支配できない小説が禁欲的な小説である。


 【で、どういうこと?】

 定義はわかったけど、で? という感じかもしれません。

 そこで、例を挙げたいんですけど。


 たとえば、禁欲的な小説としてパッと浮かぶのは、東野圭吾の『白夜行』です。

 反対に、感傷的な小説としてパッと浮かぶのは、貴志祐介の『悪の教典』です。


 『白夜行』といえば、主人公たち二人が絶望を胸に抱えたままに歩む姿が描かれていますが、この主人公たち二人はまるで共感されることを拒否しているかのように二人称で描かれていました。

 一方、『悪の教典』といえば、主人公のサイコパスがやりたい放題に遊びまくって、学校を好きなように支配してやろう、それが失敗したら皆殺しにすればいい、という物語でした。


 人物の描き方の違いとでも言いましょうか。

 好きなようにさせるのか、それとも、好きなようにさせないのか、その違いです。


 それは行動に限らず、心の状態についても言えます。

 その主人公の心は自由なのか、それとも不自由なのか、その違いです。


 主人公が、その主人公が置かれている現実――あるいは心的現実をどれだけコントロールしているか、という違いです。

 

 【たとえば】

 たとえば、どうしても付き合いたいくらいに大好きな女の子がいる主人公を考えましょう。

 感傷的な小説ではたいがい、すぐに付き合うことができます。ちょっとトラブルは起きるかもしれないけど、問題なく交際に発展し、主人公はうきうきします。主人公が口にしたセリフはすべて、その女の子に受け入れてもらえて、気兼ねなく(都合よく)、言い合ったりできます。もしも失恋に終わったとしても、主人公は滂沱の涙を流し、感動的に幕を閉じます。

 一方、禁欲的な小説ではたいがい、すぐに付き合うことができません。なかなか自分の思いを伝えることができず、もどかしい気持ちを抱えたまま、日常生活を続けます。そして、意中の女の子がほかの誰かと付き合いだしたり、あるいは、意中の女の子が自分の嫌いな相手に思いを寄せている事実が発覚したりといった障壁が立ちはだかります。主人公は、厳しい現実の中でどうにか前を向こうとしたり、自暴自棄になりそうになったりして、危うさの中を彷徨います。


 これで、なんとなくイメージできたでしょうか。

 僕としても伝えにくいので、ちゃんと伝わってるのかどうかわかりません。


 【どっちがダメというわけじゃない】

 どちらの傾向の作品も、それぞれに魅力があります。

 それに、完全に二分することはできません。


 どんな作品も、感傷的な側面も、禁欲的な側面も持っています。

 大事なのは、むしろ、そのバランスかもしれません。


 以上、なんとなく漠然と、禁欲的な小説について理解してもらえたのではないかと思います。以下では、本題に入っていきましょう。

 【読者を苦しませるにはどうすればいいか】

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 もう答えは手元にあります。

 そう、とことん、禁欲的に描けばいいだけなんです。


 【まずは、主人公の欲望を抉りだす】

 最初に、主人公の欲望を共有しなければなりません。

 彼女が欲しい、成績を伸ばしたい、大会で優勝したい、やり返したい、セックスしたい、抱きしめたい、殴りたい、殺したい……などなど。


 いろいろな欲望があると思いますが、それを明示するところから始めます。

 それを読者と共有することで、準備をするのです。


 【そして、その欲望を絶対に叶えさせない】

 読者は、欲望が果たされるのを期待して小説を読んでくれます。

 それにずっと裏切り続ければいいのです。

 

 彼女ができない、成績が伸びない、大会で優勝できない、やり返せない、セックスできない、抱きしめられない、殴れない、殺せない……などなど。

 執拗に、脅迫的に、何度も何度も、欲望を果たせないシーンを登場させることで、じわじわと読者の心を摩滅させていきましょう。

 

 読者の心が悲鳴を上げだしたとしても、容赦をしてはいけません。

 絶対に、なにがなんでも、主人公の欲望を叶えてはいけません。


 【たとえば】

 たとえば、さきほどのように、付き合いたいくらいに大好きな女の子がいる主人公の例を考えましょう。

 まずは、主人公がその女の子と付き合いたいという欲望を持っていることを明示します。そのあとは、とことん、付き合えないように障壁をおきまくるのです。主人公は根暗で、声をかけれない。相手は明るい性格の子で、自分とは正反対。学校が違う。他の人と付き合いだしてしまう。他の人とセックスしている音を盗み聞いてしまう。その女の子から、「あいつ、怖くね?」と罵られる。などなど。


 【読者を欲求不満の最果てまで追いつめろ】

 今回は以上で。さて、どうだったでしょうか。

 個人的に、もっとも恐ろしかった小説は、『隣の家の少女』です。


 この小説は、もっと複雑な構造になっていて、

 主人公は「ヒロインを虐待したい」という欲望を抱えていると同時に、

 「社会的に正しくありたい」という道徳的な罪の意識を解消したい欲望も抱えています。


 このふたつの欲望が衝突しあい、激しいコンフリクト、

 ありえないほどの欲求不満を読者に提供してくれます。

 

 ともかく、キーワードは「欲求不満」です。

 この考えを憶えておくだけでも、なにか役に立つかも。


 役に立っていれば幸いです。

 ただ……悪用は厳禁で!