【日記】僕の精神構造はすごく単純である。
こんにちは、山本清流です。
先日、残念なことに『ホクロ男』が落選したわけですが、
すでにもう、「次の作品は受賞するに違いない」と本気で思っています。
実は、『ホクロ男』を書いているときも、そう思っていました。
というか、いままで人生の中で小説を書いているときはほぼずっと、「この作品は受賞するに違いない」と思っていました。
嘘だと思われるかもしれませんが、本気でそう思っているんです。
少なくとも、心の底では、そう思っているんです。
もちろん、その自信に疑いを感じるときもありますが、概ね、ずっと本気で信じているんです。
僕の優れたところは、もしかしたら、その点かもしれないと思えてきました。
こういうような意味不明な自信が持続するところは珍しいのではないか。
この、根拠もなく将来の成功を信じるという精神構造は、先天的なものか、あるいは後天的なものか、判断はできません。
ただ、僕は生まれたときからずっと過敏性を抱えていたみたいで、小さい頃はよく癇癪とかを起こしていたらしく、
ふつうに生きているだけなのに、ずっと苦痛を感じていたのだと思います。
そういうこともあり、過去に幸せなんかないわけで、
すがりつくものがなにもないので、仕方なく、将来に期待を寄せるしかなかったのかもしれません。
だから、惨めな気持ちになったり、激しい劣等感を感じたりしたときに、
衝動的に小説を書きたくなるということがよくありました。
そういうことを何度も、何度も、繰り返すことによって、
おそらく脳内のシナプス結合が強化されていって、「小説を書く」=「受賞する」という反射的な考え方が定着してきたのかもしれません。
そして、いまとなっては、小説を書いているときに受賞を疑似体験しながら幸せを感じる、という状態になってきています。
まだ22歳なので色っぽいことを考えていても祟られないのですが、
誰か素敵な人とのデートを計画したりするよりも、ふつうに小説の設定を考えているときのほうが楽しいです。
2回もメフィスト賞の座談会に残ったという事実(あらためて考えると、これ、けっこう凄い)も、この僕の脳内構造を強化することに貢献しているのでしょう。
いま書いている作品が落選しても、たぶん、すぐに、「次こそは受賞するだろう」ということになりそうです。
しかし、本当に受賞してしまったとき、どうなるか。ちょっと、わからない。
それはなってみないとわからない。
デビュー作が売れなくて、出版社にも見切りをつけられたら、また素人に戻るので、
いまと同じようなモードに戻ると思います。
万が一、売れてしまうと、どうなるか。
考えられることとしては、「僕は直木賞を受賞するに違いない」という思い込みが始まることでしょうか。
ひょっとしたら、これから僕がどこにいようとも、
その場所から見える次の段階を、いつも期待しつづけながら、死んでいくのかもしれません。
この精神構造が変わらない限りは、
小説家になれなくても、なっても、どちらにせよ、死ぬまで小説を書いていると思います。
それくらい単純なのです。
僕は。