【日記】正論が正しいわけじゃないと思う件について

 こんにちは、山本清流です。


 世の中には、正論を口にする人もいます。

 けれど、ちょっと待ってください。正論の多くは誰かを傷つけます。


 今回は、「挨拶するべきだ」という正論をケーススタディーとして具体的に取り上げ、それがいかに人を傷つけるかを検証しましょう。


 僕のスタンスとしては、無理解な人を批判するのではなく、

 「無理解はしょうがないよね」と受け止めた上で、論理的に説得していくというスタンスです。


 どうぞ、説得されてください。


 【正しそうな気がする、「挨拶するべきだ」という正論】

 パッと目では、正しそうな気がしますよね。

 ついつい口にしてしまう人もいるかもしれません。


 ただ、それを耳にした人の中には傷ついている人もいるはずです。

 これは経験則ではなく、論理的な思考実験の結果として、宣言できます。


 実際、僕も、さまざまなシーンにおいて「挨拶するべきだ」とは思いますが、その正論はケースバイケースとしか言いようがないのです。


 【世の中に、一種類の人しかいない、という幻想】

 多くの人は、この幻想に陥っています。

 自分ができるのだから、みんな、できるだろう。という幻想です。


 当たり前にできることを、どうしてできるのか、と考え直した経験もないでしょう。


 しかし、実際のところ、世の中にはさまざまな人がいます。

 日本をひとつの40人学級だとしたら、そのうちひとりは外国人ですし、ひとりはゲイですし、ひとりは発達障害でしょう。


 もちろん、それは例え話ですが、それくらいの感覚が現実に近いです。

 気になる方は、種々の統計でも調べてみてください。


 【「挨拶をするべきだ」と言われて傷つくと想定される人たち】

 さまざまな人がいるという前提を理解して、考え直しましょう。

 「挨拶をするべきだ」という正論で傷つくのは誰でしょうか?


 挨拶ができない人たちです。


 咽頭がんによって喉を手術し、物理的に挨拶ができない人がいます。

 発達障害による質的なコミュニケーションの障がいで、行動抑制が働いて、挨拶できない人がいます。

 場面緘黙症という症状もあり、特定の場面で声が出せない人たちがいます。

 外国人の方は日本語が苦手で、進んで挨拶できない場合もあります。

 対人場面におけるトラウマを抱えていて、挨拶できない人もいます。


(※もちろん、そういう人たちが必ず傷つくという想定は間違っていますが)


 逐一、それらを想像するのは難しいですが、

 正論をネット上で発信する場合、こういう種類の人たちにも届いていることを自覚したほうがよいのではないか、と僕は思います。


  そして、↑この正論に傷つく人もいるでしょう。だとしたら、正論がいかに人を傷つけるか、よくおわかりになったに違いありません。


 【正論は常に間違っている】

 なんらかの正論は、常に間違っていると考えたほうがいいでしょう。

 世の中は、そんなに単純ではないと思います。


 だから、そのへんのことも想像する余裕を持っていただけると、知らず知らずのうちに誰かを傷つける事態が避けられるかもです。


 対策としては、自分の意見を主張する際に、「僕は、こう思う」という主張の仕方をしておいて、「みんなもこうするべきだ」という押しつけにはならないように気をつけるといいかもです。


 最近、Youtubeを見ていると、どの動画のコメント欄も、無配慮のオンパレードなので、こんな記事を書きたくなりました。

 以上でした。読んでいただき、ありがとうございました。


(ちなみに、僕は、youtubeの過激さと無配慮に疲れたときは、NHKオンデマンドに逃げています(NHKオンデマンドにはコメント欄がない)。同じように刺激に疲れやすい人には、べつの動画サイトも登録しておくのがおススメです)