【日記】話したこともない人の視線が怖い件について

 こんにちは、山本清流です。


 突然ですが、視線が怖いです。

 見知っている人だったら、怖くありません。


 ちゃんと話したことがある人だったら、目を向けられても、大丈夫です。


 しかし、見知らぬ人――たとえば、散歩中に偶然すれちがった人とか――に視線を向けられると、ぞっとします。


 何を考えているか、わからないからです。


 今日、散歩中に、若い女性と目が合ってしまい、トラウマみたいになりました。

 怖い。


 その後、何度も、女性の眼球が脳裏に浮かんできて、きゃーーー、と悲鳴を上げそうになりました。

 その眼球はなにを見ていたのだろう? いったい、僕の、なにを見透かしたのだろう?


 怖すぎる。


 実は、僕の頭の中には、怖い眼球コレクションというのがあって、主に、小学生や中学生のときに受けた名もなき視線が映像的に、頭の中に残りつづけているんです。


 その眼球の持ち主は、どれも、僕とあまり話したことのない人たちです。

 どうして、僕と仲良くないのに、目を向けてくるのか。その裏側を想像すると、ぞっとして、夜も眠れず、ときどき、発狂しそうになります。


 いちばん怖いのは、あの人! 名前は言わないけど、あの人の眼球が怖いです!


 視線って、あとあと、どのように解釈することも可能だから、僕の頭の中では、数々の視線に漫画みたいにセリフをつけてしまいます。

「きしょい顔」(『高校入試』の中のセリフ)とか「お前みたいなのは許せない」(どっかのテレビコメンテーターのセリフ)とか「人間の失敗作だね」(『告白』の中のセリフ)……

 それがいきすぎると、本当にパニックになって、ヤバいんですが、

 いまは、落ち着いているので、ご安心ください。


 僕の頭は、なぜか、昔の記憶を何度も再解釈し直して、新しく演出し直そうとするんです。

 その演出は、主に、ドラマや映画やテレビで見聞きした言葉に基づいておこなわれるので、なるべく嫌な言葉には触れないように気をつけているのですが……。


 しかし、出てくるわ、出てくるわ……。どんな平和的な小説を読んでいても、絶対に、一言、二言、僕の神経に障る言葉が出てくるわ……。


 そうなると、その言葉によって記憶が演出し直されて、すべての記憶がネガティブに構成し直され、見事なまでに、パニックに。


 なんか、メンヘラみたいで、辛いです。

 脳の機能上の問題だから仕方がないんですが、メリットもあると思うのです。


 こういう脳みそだからこそ、僕の書く小説は、だいたい「油絵」みたいになって、「墨絵」みたいにキレイにはならないのでしょう。

 それは悪い意味ではなく、


 すでに書いたところを、何度も何度も再解釈し直すことで、よりよい形に修正していくように、書き上げるので、


 僕の脳みそを用いて小説を書くと、絶対に、プロットを逸脱し、かつ、プロットよりも面白くなるのです。


 という感じで自分を慰めつつ、ようやく、いちばん書きたかったところを明日から、書きます。

 いま書いている小説で、いちばん、魅力的なシーン。


 楽しみです。