【創作について】おかしいことを一度じっくり考えてみるということ

 こんにちは、山本清流です。


 今回は、「おかしいことを一度じっくり考えてみるということ」というテーマでお話ししましょう。


 たとえば、ミミズで口腔内を塞いで窒息死させることができるだろうか、というアイディアがあったとしましょう。

 多くの人は、このアイディアに対して、次のように答えるかもしれません。


 ミミズが多く必要でミミズを集めるのが大変だから、ナイフで刺した方が早い。

 ミミズを使う利点がわからない。

 そもそも、ミミズを噛み千切って呑み込めば窒息死しない。


 ありえない「おかしな」考えについては、多くの人は批判を展開します。


 しかし、批判なんて、誰にでもできるのです。

 そのアイディアを閃いた本人でさえ、自分に向かって批判できます。


 だからこそ、僕は、批判をするのではなく、批判に対する答えを考えたい。


 ナイフで刺した方が早いけど、どうしてミミズを使うのか?

 ミミズを凶器として使うメリットはなにか?

 ミミズで確実に窒息死させるにはどうすればいいか?


 バカ真面目に「おかしな」ことを考えていきたいのです。

 その考えはほぼすべて袋小路にいきあたりますが、ときどき、面白い発見があったりします。


 ミミズが大量発生している場所が近くにあるという状況では、ミミズを収集するのも楽ではないか?

 ミミズを相手の喉に詰まらせたとき、指紋が洗い流されるのが利点なのではないか?

 ミミズ恐怖症の人の咽喉にミミズを詰め込めば、噛み千切ろうとはしないのではないか?


 などなど、なにを言っているんだ、という感じですが、僕もそう思います。

 どうやら、袋小路にいきあたった感がありますが、それで構わないのです。

 もともと、その可能性のほうが高いのですから。


 しかし、「考える」のか、それとも、「はなから考えない」のか。その違いは大きいでしょう。


 僕は、どんなにおかしなことでも、一度だけでも「考える」ほうを選択していきたい。

 それはダメだね、となる前に、この考えを進めていくとどうなるのか、という疑問を大切にしたい。


 その先に、なにか、面白いものが眠っているような気がするからです。


 とはいえ、実際は、はなから切り捨てているものも多くあるのは事実です。それが人間だからしょうがない。

 できるだけ、捨ててしまったものの中からダイアモンドの原石を探り当てるような柔軟さの中で生きていたい、と願うばかりです。