【日記】はじめて新人賞の最終選考に残ったときの心の動きについて

 こんにちは、山本清流です。


 先日、はじめて小説新人賞の最終選考に残りました。

 受賞にはいたらなかったのですが、とても嬉しい出来事でした。


 ただ、多くの場合がそうであるように、なにか大きな変化があるとストレスになります。

 受賞にはいたらなかったのでプロ作家にはなれていませんが、なんとなく、プロ作家の感覚を疑似体験したような気分になりました。


 想像ながらも、「プロ作家って、大変なんだろうな」と思ってしまいました。

 最近、プロ作家の苦悩を勝手に想像しているのですが、まとめると、以下のとおり。

 〇人間として平等に見てもらえないのではないかという不安。
 〇自分が天狗になってしまっているのではないかという不安。
 〇悪い噂が立つのではないかとびくびくする気持ち。
 〇自分の書いた言葉が誰かの心を抉るのではないかという罪悪感。
 〇自分の書いた作品がバカにされているのではないかという恐怖。

 このへんを、僕は疑似体験してしまいました。

 とくに怖いのは「天狗になっているのではないか」という不安です。


 いままでどおりに振舞っているだけでは、「天狗だ」と指摘されそうな気がしてしまい、いままで以上に人に優しく、丁寧に対応しなければいけないのではないかという気持ちになります(想像ですが)。


 周りから平等に見てもらえないのも、考えものです。

 小説家って、たぶん、「自分とは違う人たち」という感じで見られているから、その線がかなり深刻な問題です。


 いや、ふつうの人だよ、っていうか、むしろ、不器用な人間ですよ、というのが伝わりそうになくて、怖い(想像ですが)。

 医師に近いものがあるかも、です。医師って特別な存在だから、なんとなく線を引いてしまい、「自分たちとは違う存在」みたいになっちゃったりします。


 その感じが怖い。

 平等に見てもらえない孤独というか、なんというか。もちろん、想像なんですけれども。


 それに、いざ出版するという話になってきたら、「え、あの小説の中のあのセリフ、めちゃめちゃ、たくさんの人を傷つけそうな気がするんですけど」というのが気になりはじめます(想像ですが)。

 表現として、避けては通れないところもあると思いますが、それでも、不特定多数に読まれる以上、絶対に誰かを傷つけるだろうなと思うと、罪悪感がどっさりと……。


 それに、出版した作品が評価されるとも限らないのです。

 こっそりと笑われていたらどうしよう。そんなのは嫌だな……。


 「小説家って、本当は、めちゃめちゃ苦痛な仕事なのではないか」という気がしてきました。

 どうしよう。怖くなってきました。


 でも、小説、書きたい……。

 僕はきっと小説を書いてしまい、新人賞に応募してしまう……。


 だって、誰かに読んでほしいし、「いやぁ、面白かった」という言葉が欲しいのです。

 僕は毎日、散歩するときに芸術的なデザインの大きな橋を通るのですが、「この橋を設計した人って、どんな気持ちだろう」と考えるのです。

 その橋があることによって、川のむこうまでいけようになり、その周辺に住んでいる人の生活がはるかに豊かになったのです。


 当然、毎日のように、その橋は利用され、多くの車が行き交っています。

 直接感謝されることはないだろうけれど、数えきれないほどの人たちの生活の役に立っているのです。


 その様子を設計者が見たら、「設計してよかった」と思うのではないか。

 その橋を利用する人たちがいることを思うだけで、心強い気持ちになるのではないか。

 

 そんなロマンチックなことを考えると、僕も、そんな橋みたいなものを社会に提供したくなります。

 多くの人がなんとなく利用していて、べつに感謝はしてくれないけど、ちょっとだけ生活の中で役に立っている。そういうもの。

 

 僕は橋をつくりたい。独特な形の橋を。

 だから、やっぱり、小説を書かなければ!


(などと言いながら、生来からの性質で、小説を書かなければまともに生きていけないだけなんですけどね。)

 そんなことを考えている山本清流でした。