【日記】『ホクロ男』の落選理由についての考察。

 こんにちは、山本清流です。





 先月、メフィスト賞に応募していた『ホクロ男』が落選しました。

 座談会に残らないとコメントがもらえないので、座談会に残らなかった『ホクロ男』の落選理由については推測するしかありません。





 想像(妄想)豊かな山本清流は、次の作品に活かすためにも、その落選理由を考えていました。

 ミステリじゃないからか、冒頭に引きがなくて舐められたか、キャラクターの内面描写が不快だったか、オチに驚きがないことが減点となったか、など。






 いろいろ考えたのだけど、いちばんピンと来るのは、やはり冒頭かなぁ、と思えてきました。

 冒頭って、やはり、大事だと思います。






 だって、選考委員の人って、応募されてきた作品をたくさん読んでいくわけです。

 業務内でやっているのか、自宅に持ち帰ってやっているのか、知らないけど、たぶん疲れている可能性が高いです。






 疲れている人って、他者に対する批判的な視線が強くなる傾向があります。

 これは主に僕の経験上のことだから、人によっては違うかもしれないけど、疲れているときって他者の利点よりも他者の欠点に目がいきやすいです。





 読者メーターとかYahoo映画とかで作品を酷評している人の多くは、たぶん、みんな疲れてます。

 人生を楽しんでいるときは、面白くない作品も面白がれるはずなので。





 どんなに公平に審査しようと身を引き締めたとしても、

 冒頭から欠点が目につくと期待が弱まり、ここはこう書くべきじゃないか、と編集者モードに入ってしまい、その視線で固定されると作品の面白さに目がいかなくなるでしょう。

 ただでさえその状態になりやすくなっている疲れた人に対して、冒頭でヘマをすると、そのあとで取り返すのは難しいのではないか、と思います。






 僕も正直、冒頭からピンと来ない音楽って舐めてかかってしまいます。

 誰にでも書けそうな歌詞だな、と一度思ってしまうと、そのあとで、その印象が覆ることはほとんどないです。

 自分の考えを一貫させていたい、という心理メカニズムも働いているでしょう。







 編集者を仕事としている人に読者として作品を楽しんでもらうためには、

 冒頭の段階で、おお、この作品は! と思わせなければいけないのではないか。







 裁判にたとえるなら、第一審の判決が決まると控訴審や上告審ではほとんど覆らない、というイメージでしょうか。

 今回の『ホクロ男』では、その掴みがハマっていなかった、と僕は思うのです。






 たしかに、そこには力を入れていなかった、と反省しなければいけません。

 過去に座談会に残っているんだから、強い引きがなくても、ちゃんと読んでくれて、総合的に評価してくれるだろう、という慢心があった気がします。

 デビューしてないくせに、ちょっと偉そうでした。






 以上のような考えのもと、次の『拷問投票』においては、冒頭にもうちょっとこだわろうと思います。

 これは選考突破のための戦略という域を超えて、小説を読んで満足を得ようとする読者に対する配慮でもあるのです。


 




 
 冒頭で、おお! と思わせて、それはなだらかに落ちていくけど、

 落ちきないうちにラストのカタルシスに持っていって、読後感をよくする、という、そんな作品を目指します。





 そして、面白いか、面白くないか、の基準で判断するのではなく、

 面白いか、すごく面白いか、の基準で作品制作に臨むことにします。






 僕は、面白い作品ではなく、すごく面白い作品を書かなければいけません。

 作者と読者の興奮の度合いには隔たりがあると思うので、

 すごく面白い作品が読者に届くころには面白い作品として扱われているはずです。