【日記】本を読むことよりも、書店で本を選ぶことのほうが楽しい
こんにちは、山本清流です。
今日、書店に行く機会があり、案の定、面白そうな本を見つけて買ってきました。
二冊とも、科学系の読み物です。
それを帰ってきてから読んでいて思ったのですが、「本を読んでいる瞬間よりも、書店で、その本を買うことを決めた瞬間のほうが楽しかった」ということです。
僕はかなりこのタイプです。
本を買うというだけで、楽しい。
本を選ぶことも楽しい。
おかげさまで、自宅には、未読の本が山のように積まれています。
なんというか、実際のところ、本の楽しみって、本の中身はあまり関係ないんじゃないかという気もしなくもありません。
もちろん、面白い本だったらそのぶん得をした気分にはなるのですが、「本を選んだ」瞬間には、もう、元を取れているような気がします。
結局、本って、読んでみないと中身はわからないのだから、けっこうな賭けです。
ガチャガチャみたいな感じですよね。
そう、まさにガチャガチャ。
書店って、なにが出てくるかわからないガチャガチャが無数に並んでいる感じなんですよね。
なにか面白いガチャガチャが埋もれているような気がして、その面白いガチャガチャを見逃すのがもったいなくて、なんでもかんでも、買いたくなってしまう。
ガチャガチャの醍醐味って、カプセルの中身っていうよりは、その「体験」じゃないですか?
書店も、同じような感じがする。
ふらっと立ち寄って、なにか面白そうな本を見つけて、「きっと、面白いだろう」と予測しながら、レジへ持っていく。
結果として、「サイコーだった!」っていう時もあれば、「なんだ、これ」となって冒頭をちょろっと読んで未読のままになる本もある。
でも、どちらにせよ、「ガチャガチャをしたという経験」がプラスとして付与されているから、そこまで嫌な気分にはならない。
僕は、けっこう、そういう感じで書店に行っているかもしれません。
だから、時代の流れとともに電子書籍とか、サブスクとかに移り変わっていくかもしれないけど、書店も残っていってくれると嬉しいな思います。
今日は、そんなところです。また明日。
最後は、恒例の英語コーナー。今日の5文。(以下、ただの英語の勉強の記録です)
①Those who go to school by train were involved in the accident.
(電車通学をする人々は事故に巻き込まれた)
「those」で人々という意味を表すようです。これは、ちゃんと理解していないと、長文とか読むときに誤読しそうなので、気をつけないと。
②What is this reunion for?
(この同窓会はなんのため?)
「for」には、いろいろな用法があります。方向や目的、原因、支持、代表、交換、基準、期間など多岐に渡ります。今回の「for」は目的を表していて、「~のため」という意味でしょう。
③The minister is not what he was.
(その大臣はかつての彼ではない)
「what 〇〇 was」という表現で、「以前の〇〇」という意味になるようです。けっこう重要そうだから、覚えなければ。
④I seek deeply to adapt to the environment.
(環境に適応するために、わたしは深く模索している)
不定詞の副詞的用法について、です。この場合は、目的を表していると思います。「わたしは模索する」という文全体に、「環境に適応するために」という副詞として、「to」以下が機能していますね。
⑤If you had protested against antisocial forces, you would have been killed.
(もし反社会的勢力に抗議をしていたら、あなたは殺されていただろうに)
仮定法過去完了の表現です。過去にあった出来事を仮定しています。この場合、現実は「反社会的勢力に抗議はしていない」が、「もしも、していたら」という仮定の話をしているようです。こういうときは、完了形の表現を使うようです。
以上。
最後に。今日の雑学コーナー。
今日の雑学は「自己標的バイアス」です。
心理学用語で、心理学者のフェニング・スタインによって広く伝播された用語のようです。
自分が特別、注目を浴びているかのように感じてしまうバイアスのこと。
このバイアスには気をつけたいですね。
他人の言葉や動作などをいちいち「自分に向けたもの」として錯覚しやすいのが人間です。
実際には、ほとんどの他人は他人に興味さえ持っていないので、もっと気軽にいてもいいのですが。
まあ、人間に共通するバイアスですから、みんなも同じなんだって思うだけでも気が楽になるかもです。
以上。山本清流でした。