【日記】どうして小説を書きつづけているのか、正直、わからない

 こんにちは、山本清流です。


 中学生のころから小説を書きつづけている変わり者です。

 いまとなっては、小説を書くのは新人賞を受賞するためですが、


 書きはじめた当初は「新人賞なんて、ムリムリ」と思っていました。

 それなのに、中学生のころ、毎日、かなりの量の小説を書いていました。


 「小説を書く=作家になる」と目的を混同しがちですが、

 僕の場合、もともとは、このふたつの目的は別々に存在していたとする説が有力です。


 もともと別々に存在していた「小説を書きたい」という思いと、

 「作家になりたい」という思いが年月を経て融合し、ひとつの「新人賞を受賞したい」という目的へと上位変換されていきました。


 原点回帰して考えるに、僕は、もともとは、作家になりたいわけではなかったと思います。

 つまり、「作家になりたい」という思いは多分に後付けである可能性が高いです。

 

 ただ単純に、気が付けば、小説を書いていました。それだけのこと。

 ただ、人生には限られた時間しか存在しないのです。


 ただ単純に小説を書いていたいのですが、ほかの仕事をしていたら小説を書く時間が十分に取れない。

 だったら、作家になってしまえば、好きなだけ時間を使って小説を書けるではないか。おまけにお金が入ってくるのだから、天国じゃないか。


 そのためには、新人賞を受賞しなければいけないが、

 好きなものを書いているだけでは受賞できない。


 だから、求められているものを探り、それっぽい作品を書いていこうじゃないか。

 こういう思考経路をたどり、「小説を書きたい」が、「作家になりたい」へ、「新人賞を受賞したい」へ、と変化していったのだと思います。


 もとを辿っていけば、到達するのは、「小説を書きたい」という純粋な思いです。


 では、なぜ、小説を書きたかったのか。

 それがいまでも謎なのです。なにかを表現したかったのでしょうか。


 それともただ、小説を書くという習慣が遺伝子レベルに組み込まれていたのでしょうか。

 僕の祖父も本が大好きで、小説を書いていたという話を聞きます。


 母も文章を書くのが得意で、エッセイなどを書いては、入選みたいなことをしています。

 僕と祖父は一度も会っていませんし、母は僕の前で小説を書いたりしないので、誰かの影響を受けたわけでもないと思います。


 やはり、遺伝子の問題でしょうか。


 まあ、無責任な発言するのはこのくらいにしておくにしても、本当にミステリアスなのであります。

 なぜ、僕は小説を書いているのか。


 自分のことさえ、結局、なにもわかっていないのです。

 ゴーギャンのあの長いタイトルの絵みたい……。