【『拷問投票』制作日記⑦】やっぱり、書き出した。

 こんにちは、山本清流です。





 計画では、来年の3月以降から書き出す予定でしたが、

 計画を変更して、もう、書き出しました。





 構想期間に読んでおきたかったテキストや資料は半分ほどしか読めてないので、

 それらを読みつつ、同時進行で執筆を進めることにします。






 いまから書き出した理由は、執筆の負担を軽減するためです。

 よく考えてみると、3月以降から書き出すと、締切は8月末なので、1日に書かねばならない量がわりと多いのです。






 いまから書き出せば、1日の執筆量が僅かであったとしても、8月末に間に合います。ゆっくり書くために、そうしよう、と。

 それがいちばんの理由です。加えて、専門書に疲れてきたこともあります。






 ちょっと無理はありますが、いちおう、刑法だけなら実務家レベルまで持っていきたいと思っていて、

 平日は2時間、休日は6時間程度の勉強をしておりまして、かなりハードです。

 なので、執筆で息抜きしよう、という思惑もありました。






 いまのところ、その思惑は成功しています。

 設定を作り込んでいるおかげで、書くことには困らず、

 スラスラ書くことができる感じです。






 やはり、小説を書くのは楽しい。

 これ、ホントに、面白いのか? という不安さえなければ、書くことは常に楽しい。







 前回の『ホクロ男』では、描写にもこだわりましたが、

 今回の作品では、描写は重視しません。






 拷問投票という制度をいかに面白がってもらえるかというのが勝負どころで、

 描写で読者を引き込むことは想定してないからです。







 あと、テーマはぜんぜん決めてないです。

 設定ありきの小説で、テーマを考える機会がありませんでした。書いているうちになにか出てくればいいな、と思います。







 いまの僕は、いちおう、メフィスト賞を目指すつもりでいます。

 僕の心の中には、書いた作品を誰かに評価されるのはストレスのかかることだから、








 あえてそこには挑まず、自分で満足していればいいんじゃないか、という考えもありました。

 しかし、そうなってしまうと、僕の人生がチャレンジャー的な性質を失い、とくに目的のない退屈な色に染まってしまうことも懸念されました。

 





 

 小説を書くことのほか、とくに頑張っていることもないし、人格的な向上心もないし、なにか社会貢献をするつもりもほとんどない、という目的のない人生なのだから、

 せめて、小説を書くことに対するストレスくらいは甘んじて受け止めて、自分の欲望と向き合うべきだろうと思い直しました。







 この心構えに切り替えてから、ひとつデメリットに気づきました。

 いままでの僕のスタンスは、超自我に反発する感じでしたが、

 今回のように、むしろ超自我の意向を受け止めるという心の在りかになると、






 僕の中に、〇〇すべきだ、という考えに対する議論がなくなり、特定の考えがそのまま、まかり通るようになり、

 その結果、他人の言動に対して厳しくなってしまいました。






 だから、いまちょっと、また元に戻そうかとも考えています。

 甘えるというのは簡単なことに見えて、実はすごく難しいことでもあります。

 だって、甘えようとすると、甘えてはいけないという考えと全面衝突するからです。







 僕はいままでずっと全面衝突してました。不登校になったときから、とくに。

 他者に公平であるためには、全面衝突していたほうがいいのかもしれないという気もしてきました。