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「それ」はいつでもどこでも完璧に、100%未来永劫に正しいのか?

「とにかく人との接触を減らそう」「換気をしよう」「ちょっとでも具合の悪い時は家にいよう」ひとつひとつは正しいことなのかもしれない。でもそれって、いつでもどこでも譲れない優先事項なのでしょうか。結構キワどい場合もありますよね。あれに感染しないなら何でもオッケー!って疲れませんか?

①電車の窓開け
ここ数ヶ月というもの、電車に乗るたびに、車掌さんから協力をお願いされていることのひとつ。しかし、天気は急に変わってしまうし、出発駅から終点までで天候も変わることもある。大体、雨が降りだしたからといって窓を閉める態勢がとれるかどうかわからない。

雨ならまだしも。大きめの虫が入ってくることが多くなったと思う(ソースは個人の感想ですが)。しかし、そもそも。心配するべきは虫だけでいいのか? 思わず考えてしまうのは、今まで入って来なかった「何か」の侵入。特に地下鉄の場合、ずいぶん前に掘削されたトンネルを通っている。あなたも、ホームでまぁまぁの大きさの小動物が棲んでいる姿を見たことがあるはず。もし遭遇したらと思うと…パニック映画間違いなし。

②アルコール消毒
どこへ入るにも、出るにも、アルコール消毒。アルコール以外にも色々成分入ってると思うのですが、それもまたよくない。肌が過敏性の人には酷な話で、普通に腫れてしばらく水の刺激ですら使い物にならないときがある。肌がボロボロになってもやり続けるのはまったく健康に悪いと思う(ミルトンでかぶれる人は注意した方がいい)。いつでも、どこでも、誰にでも必要なのかな。

スーパーマーケットの入り口で見た光景。親がアルコールボトルのそばを通り過ぎようとすると、まだ学校にも上げっていない小さな子どもが「ママ!ママ!」と引っ張っていく。紅葉のような手いっぱいにアルコール液を垂らし「こうしないとダメなんだよ」と言う。「はいはい、そうね」と言う親に手をこすりながら聞かせていたのだ。おそらく幼稚園か保育園で教育されてきたのだろう。さんざん、子どものために低刺激のものを推奨してきたのに。病気を治す薬ですら、容量や種類が違う。それなのに、なんでそうなるのか。

③いつでも健康体でなくてはいけない
初めの頃「花粉症です」「喘息です」と言うバッジが作られたと思うのですが、さほど普及しませんでしたね。マスクが苦手な人もいることを知らせるものも、実際に利用される機会がまだまだ少ない。それはおそらく、実際に会うと身構えてしまうし、「無症状の陽性」が一定程度(割と多い状況で)存在することがわかったから。

しかし、ふと思うわけです。そもそも、みんな毎日健康だったのでしょうか。倦怠感が抜けない…温度が変わっただけで咳やくしゃみが出る…頭痛が頻繁に起こる…こういう人は外に出るなと言われているのと同じです。ましてや、 マスクができない人は、外に出るなと。「自粛してください」と物腰柔らかく言うことで「健康な身体を持ってる人が外出してもいいけど、不健康なら家にいろ」と制限をかけている。たとえ、無意識だとしても。行き過ぎてしまわないようにするのは、「自分がもしそうなったらどうするか」を考えることしかないのでは。

④トイレのドア開け
そう、不安だからとトイレのドアを開けたがる人がいて、これは本当に、衛生的にまずいと思う。わたしは普段、2つのオフィスを行き来しているのですが、片方のオフィスで共用のトイレのドアを開ける人が増えた。トイレと執務スペースが近いのに。それが換気のためらしいのですが、もうやめてほしい。とにかくニオう。芳香剤に混じって、ほのかなアンモニア臭も。そもそもここ、古いビルを内装だけオシャレ風にしてるから、水まわり不安なんですよ。下水道って、近代以降の基本的な公衆衛生ですよね……。

昔々、とある個人事務所で働いていた時にも、オフィス内にトイレスペースがあったのですが、もしあの時、この状況が訪れてたら開けっ放しだったのかも……そう思うと寒気がします。

今回は4つの事例を挙げたのだけれども、いずれも本来の目的を忘れてしまうのがよくない。健康のためにすることが健康を損なうのは本末転倒だし、そもそも健康を強制するのっておかしい。何のために健康であろうとするのかといえば、それは笑うためなのだ。そこを忘れて突っ走った時に、人は取り返しのつかない間違いを起こすのかもしれない。そんなことを考える夏の夜です。

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