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難しいヤツと付き合いはじめました【ままならない身体】

ままならない身体と題するシリーズ。前回は、難病未満で困っているというお悩み自問自答をした。実はすぐあと「関節リウマチ」との診断が降りて、抗リウマチ薬(免疫調整剤)の服薬もはじめている。

※お気づきの通り、重症ではありません。(そんなに動けてるなんて……)と訝しく思う方もいるかもしれない。そこは個人差ということ、ご了承いただきたい。

免疫調整剤は効き目が遅い薬ということもあり(巷でよく言われる「飲み始めると風邪をひきやすくなる」まで行くのは免疫抑制剤。そこまでの働きはしない)、痛みがなくなるわけではない。それでも、飲まないという選択肢なんて有り得ないくらい、なくてはならない存在だ。これがあるから、繁忙期をどうにか切り抜ける気がしている。

時には、遊ぶことだってあるだろう。無理な時は家にいるので、もしフラリと現れたら、いつも通り話してもらえるとうれしい。

しかし禁欲的なほどに、お酒は控えている。本当に、自分でもびっくりするほどだが、半年ぐらい飲んでない。もう少ししたら、ちょっとでも美味しく飲めるようになりたいものだ。

ここまで書いて気づいたが、まるで恋人じゃないか。それも、束縛の激しい類の恋人。そういう目にしばらく遭っていないので忘れていたが、あぁもしかしたらこれは、ひょっとしたらそういうことかもしれない。

たとえばこんな風に。

――いつの間にか身体に棲みついていて、今となっては、何をしていようと、ひと時も忘れることはない。その存在は、痛みを感じながら常に生とともにある。それを身体から振り払うなんて、意志ではどうすることもできない、抗うことのできない力。わたしの中に、あなたは常に在る。死が、ふたりを分かつまで。

「何言ってるんだ」というお𠮟りの声は正しい。一方で、年配者があれほどまでに、雑談で具合の悪さ自慢をし始めるのには、上記のような気分になるからだという仮説も成り立つだろう。病気自慢は、つまり恋バナということだ。

使い古された「恋の病」とは、なるほど言い得て妙である。

恋に夢中になると、他のことはどうでもよくなりがちだ。しかしその態度は身を滅ぼす。いい距離で付き合わないと、「しんどい」ばかりが大きくなり、恋もいずれ破綻を迎える。束縛には束縛で返すのではなく、束縛をあしらうぐらいの気持ちでいたほうが長く関係が続けられる、はず。

それと同じだ。「しんどい」ばかりにならないように、周りを見渡せるようにしたい。今更ながらだけど、それもあって、このシリーズを書こうと思ったのかもしれない。


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