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コーラで脱色できずに泣いた日

髪を染めるたびに思い出す。
「染めてないよ、コーラがかかっただけだって」
なんて無責任な言葉だろう。
中2の夏、わたしの周りでは、自然発生的に口にする人が多くなっていた。

1990年半ば、横浜のあまり行儀のよくない地域の公立中学校の話。

その言葉を口にした彼・彼女たちは、おそらく本当はコーラで脱色なんかしていなかった。「偶発的にコーラで脱色した」という言い訳は表向きのことで……きっとあれは秘密のコードだったのだ。

その後、偶発的にコーラで脱色した人たちの髪が自然と元に戻ることはなかった。むしろ、さらに色は重ねられていき、受験が近づくと不自然な黒色になった。

自分と同じ県営団地に住み、同じ幼稚園・小学校・中学校で「親友」だったSも、その一人だった。同じ学校だったのは中学までだが、たぶん25歳頃までは、親友は誰と聞かれたら彼女のことを答えていた。

彼女も、みんなと同じように「コーラで脱色した」といってはばからなかった。むしろ「XXにコーラかけられてさ」と、一緒につるんでいた男子との出来事を、「ムカつく」と言いながら笑って話していた。

しかし、どう考えても、あんなに綺麗な茶色になるわけない。どうして気づかなかったんだろう。わたしがバカだから仕方ないのか?

その言葉を真に受けて、何度かコーラで試してみた。しかし、自分は何度やってみても、くせのある太い髪がベトついただけで、黒々としていた。

目立たないヘアカラーで染めて「わたしもやってみたよ!」と言ってしまおうかと思ったことがある。でもそれだと、自分から「親友」に噓をつくことになるので、早々に選択肢から外していた。

何度試してもダメだったので、最終的には自分の体を呪った。胸が大きい上に、お世辞にも細いとは言えない、どこまでどんくさいのだろうかと。髪の色さえも、みんなと同じように変化できないと悲しくなった。

いや、本当は気づいていたから、悲しかったのかもしれない。だけど、Sに隠し事をされていると認めるのは、さらに悲しみが深くなる。恐怖に似たものを感じていた。「親友」に嘘をつかれているかもしれないこと、そもそも「親友」のことを疑っている自分を感じ取るのは、暗い穴を覗いているようだった。

わたしには「なんか合わなかったみたいで」「まぁ、あたしには似合わないし」と言うのが精一杯だった。そもそも家庭の事情で、自由に使えるお金が本当になくて、試しに使ったコーラだって、交通費をやりくりして手に入れたものだ。きれいに染めた髪に合う服も持っていなかったし、考えただけで自分のみすぼらしい姿が目に浮かんだ。
(今は無理だ……)
心の底からそう思った。

今思えば、あの頃、皆が一斉に髪を染めはじめたのは、個性の発露ではない。集団の中で自分のポジションを明確にして、しかも悪目立ちしないためのツールだった。たまに誤解をされているけれども、ヤマンバなんて、没個性化の最たるもの。なんでわざわざ、同じにならなきゃならないんだろうと思っていたが、きっとあれは童話の「スイミー」と「迷彩服」のいいところ取りだろう。つまりは集団の中で浮かず、徒党を組んで敵を威嚇できる。良いシステムだ。

それから年が経つにつれ、Sは完全なギャルになり、わたしは青文字系の服で身を固めるようになった。それぞれに波乱含みの若者生活を送りながらも、定期的に会っていた。大学生になってバイトも始めると、アッシュ系のグリーン、ピンク……と、様々な色に髪を染めたが、その度にコーラのことが頭によぎった。それでも「親友」であることに変わりはなかった。

ところが20代半ば、ささいなことがきっかけで彼女と会うことはなくなった。20年近く続いた「親友」はあっという間に終わりを迎えた。けれど、今思えば、もうとっくにすれ違っていたのだろう。その始まりは、あの夏の出来事だったのだと思う。秘密のコードをわたしは受け取らなかった。

ついこの間も久しぶりに髪を染めたのだが、20年以上も昔の、コーラで髪を染め(ようとし)た日のことが鮮やかによみがえってきた。今Sは、どこかで同じように髪を染めているだろうか。彼女と会うことはもうないだろうが、元気で暮らしているようにと無事を願う。

さてわたしはと言えば、秘密のコードを受け取らない人生を選んでしまったからには、もう行けるところまで行くしかない。

#髪を染めた日

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