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1年の大きさを思い知らされる運動会

息子たちの保育園の運動会に参加した。
毎年参加していて、これまでは子どもたちのかわいらしい姿を見るイベントという認識だった。
でも、今年は長男にとって最後の運動会であり、見る私のほうにも力が入った。

長男は家ではもっぱらYouTubeを見るか、ゲームをするか。私に似て身体を動かすことがあまり好きそうには見えず、運動会には苦手意識があるのではないかと勝手に思っていた。
しかし、運動会の数日前から「あと何日?」と聞いてくる姿があった。彼なりに楽しみにしているらしい。

年長である長男のクラスには、開会の太鼓、キッズソーランの踊り、リレー、竹馬と出番がたくさんある。
運動会に向けた取り組みが始まった頃、竹馬に乗るのが嫌でみんなが練習しているなか一人で部屋に残ってゴロゴロしている長男の姿を目撃してしまった私は、先行きが非常に不安だった。竹馬に乗れないまま、運動会に行きたくないと当日を迎えるのではないか……。

ところが、私の不安をよそに、長男は着々と竹馬に乗れるようになっていったらしい。「ジャンプもできるようになった!」と報告してくれることもあった。担任の保育士さんに見守られ、クラスメイトの存在に後押しされ、興味のなかったことにも取り組んでいったようだ。
同じように、キッズソーランの踊りやリレーも、保育園の時間のなかで練習を繰り返し、長男なりに習得していったらしい。

当日は、見事に全ての演目をやり切っていた。竹馬も一度も落ちることなく、ジャンプする姿をも披露していた。本当に乗れるのか、見たことがなく半信半疑だった私はとても驚いた。彼らの「できるようになっていく力」に驚かされたのだ。

1年前の運動会を思い返すと、クラスメイト全員で輪になって回る、それだけのことにも苦労していた。しかし今年は、揃って同じ踊りを踊り、リレーのバトンを渡し仲間を応援する姿があった。この1年で団結することを獲得していったのだ。
日々、子どもたちと過ごしていると、鈍感になって毎日のなかで彼らの変化にはなかなか気づけない。こうしてたまの晴れ舞台があるおかげで、積み重ねてきた変化の大きさに気づくことができる。

どうか、見逃さないように。

日々の生活に埋もれてしまいそうな、輝きの欠片を見つけられる自分でありたいと思った。

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