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言葉にするのは今日が初めてです

2023年2月24日金曜日。
大好きなギターヒーローの悲しい知らせを知ったのは、残業中、トイレでTwitterを開いたとき。
理解がどうにも追いつかなくて、とりあえずデスクに戻ってみたものの何も仕事が手につかなくって。残った仕事を全部をほっぽって家に帰った。

知らせを聞いた日はとにかく混乱して、やみくもに色んな人に連絡をとって救いを求めてしまった。だって、その前の日曜日、TentoTenファイナルで会ったばっかりだったんだ。3月25日にはビルボード横浜でアコースティックライブも見る予定だったし。何で。どうして。勝手に悲しい想像がどんどん膨らんでいった。
「永眠」という言葉のつめたさに怯みながら、公式サイトのsumikaからのお知らせを開いたり閉じたりを繰り返した数日間。何かが変わることを期待したわけじゃないんだけど、あまりに突然で実感のわかない出来事、「永眠」の2文字に心をざわつかせることで、事実を事実として認識しようとしていたんだと思う。

実感のわかない中、いちばんに想ったのはその最期。
笑顔と半ズボンと明るい髪色が似合う、よく寝てよく食べる元気いっぱいのギターヒーロー。せめて、どうか苦しくて痛くて寂しい終わりじゃないといいな、ちょっとでも安らかなおやすみだったらいいな。ぼんやりした頭で願った。

それから、メンバーやスタッフチームやご家族にも思いを馳せた。自分を責めていないか。自分自身を、バンドを、音楽を嫌いになってしまっていないか。彼らは何も言っていないのに、勝手にぐるぐると心配をした。



未だに信じきれていない。どうやら推しがこの世を去った。らしい。
バンドマンに「推し」なんていうと眉をひそめられそうなんだけれど、それでもじゅんちゃんにはこのことばがいちばんしっくりきちゃう。

悲しくて寂しいけど、涙は1度も流れず、ご飯も普通に食べられるようになって。いつまでもめそめそしていられないなぁと前を向くことが増えて。そんな自分は薄情なのかと後ろめたさを感じたり。sumikaの音楽はうきうき聴ける日と、どうにも悲しくなっちゃってダメだなあっていう日があって。
失ったものがあまりにも大きい。


浮いては沈む自分の心を、言葉にして少しずつ整理してゆけたら。そんな感じで、推し・黒田隼之介さんの好きなところを綴ってゆきます。基本的に極めて明るく愛と煩悩たっぷりに書くつもりです。書きながらしんみりしてしまうかもしれないけれども。
「ミーハーなファンは嫌いだよ」とか、あるいは「まだそんなに呑気な気持ちになれないよ」という方は、そっと閉じていただけたら幸いです。















じゅんちゃんの推しポイントあれこれ


初めてsumikaを見た日、私のポンコツ海馬にも強烈に刻まれた「sumikaっていうバンドの、髪の毛くるくるの、ハーフパンツの、ギターだかベースだかの人の笑顔がかわいい。やばい。かわいい」という興奮。
短すぎるストラップの彼が抱えた楽器が6弦か4弦かは見てなかったけど(見ろよ)、「sumikaっていうバンド、楽しそうに音楽する人たちだったなあ。好きだなあ」の記憶と共に思い出すのはじゅんちゃんの笑顔だった。


それからゆる〜く聴いていた「sumikaっていうバンド」の沼に完全に落ちたのは、Shake&Shakeのきらきらした世界観のMVがきっかけ。あれはディズニーミュージカル映画育ちにはたまらない名作。
笑顔が可愛らしいギタリスト、その鮮やかなジャケット捌きににやにやしてスクショを撮りまくったあの日から、間違いなくじゅんちゃんとsumikaは私の「推し」になった。生田斗真の画像をガラケーのSDカード容量パンパンに入れていた10代のころと同じ熱量で、sumikaの画像を集めまくったものよ。
眠っていたiPadを呼び起こして、ファンアートなんかを描き始めちゃったのもこのころ。

記念すべき1作目はやっぱりしゃけだった
昭和のファンシーグッズみたいでとても気に入っている。
参考画像を探す旅が楽しすぎたな


ルックスがシンプルに私の好みど真ん中ストレートのじゅんちゃん。
くるくるふわふわの髪型も(天パ気にしてるの可愛いね)
スっと通った鼻筋も(ギターを弾くときの俯いた横顔が最高に綺麗)
色白のお顔にうかぶホクロも(祝祭のMVなんか儚げで良きです)
抜群のスタイルも(どの衣装も着こなしちゃうけどFamilaは天才的にイケ散らかしていた。次点でLamp)
筋張った首や手元も(オス!!!!!)
長い指も(男児のピースのやり方なのに指先の色気がすごい✌️)
やや筋肉質な四肢も(もっと筋トレ動画ください)
くしゃっていう笑顔の破壊力も(説明不要)
とにかく好きです。隙あらば好き好き言っちゃう。どこにでもねじ込んでいくスタイル。好きです🫰


そんなよこしまな気持ちから好きになったギターヒーロー・じゅんのすけェ!さんだけど、音源や映像作品をそろえたり、FCコンテンツを視聴したり、ライブに足を運んだりするようになってからは、その人柄にもどんどん惹かれていった。

なんと言ってもいちばんはその笑顔。
ライブ中のゲストメンバーとのいちゃいちゃ。
同級生おかむらさんとのローカルトーク。
年下コンビおがりんとの可愛い悪ふざけ。
(atticのmovie、2019アー写撮影とサバイビー回が最高なんよ)
バロンさんと後ろでちょけてるときの顔。
片岡さんの下ネタや恋バナに誰より全力で乗っかっていくところ。
少し照れくさそうにしながらも、にこにこの表情を客席に向けてくれるコールアンドレスポンス。
大きく口を開けて目を細めたり、声を上げたり、全力で笑うじゅんちゃんに魅力を感じるのは、そこに人懐っこさがにじんでいるからなのだろう。笑顔の威力って、すごい。

それから、少したどたどしいお喋りも愛おしい。
思いついた順に見切り発車でなんでも喋っちゃってたまにみんなにスルーされているところとか(ボウリングの「目指すはキッチン」の意味のわからなさよ)、着地点がふんわりしたMCとか(第二幕名古屋のちんちんのくだりどう処理するつもりだったのよ)、喋るとき両手をたくさん動かして、一生懸命言葉を尽くしてくれる姿に勝手に親近感。
おがりんや片岡さんみたいにスマートなお話は苦手としてるのかな?と感じるけど、そのぶんすごく聞き上手な人だなあとも思っていて。話している人の顔をしっかり見て、ウンウン頷いたり、表情をくるくる変えたり、相手のことばを全力でキャッチしようとする誠実さが見えるのが素敵。好き。



穏やかで謙虚でほんの少し不器用に見えるけど、ふとした瞬間に見せる芯の強さも魅力的。
明日晴れるさができたときのエピソード。凡者の合奏で片岡さんが綴った「黒田隼之介」の章。きっと大切なことの本質を分かっていて、仲間や音楽に対して嘘をつかない誠実な人なのだろうと想像した。
SOLでは若いリスナーの悩みに対し、自身の体験や失敗談なんかを交えながら親身になって丁寧に答えていた。1本筋の通ったところ、不意に見える男気。ますます好きになった。好き。


そして、本職・ギターヒーローとして。
音楽、とりわけバンドというジャンルには本当に疎いのでよく分からないけれど……。それでもじゅんちゃんのギターは遊び心たっぷりで、ギラギラしたかっこよさの中に、キュートさとエモーショナルな雰囲気を兼ね揃えているなあと思う。

なんと言ってもライブ映えするアッパーチューン。さっきまでのふわふわした笑顔はいずこへ、険しい表情で汗びっしょりになりながら尖った旋律を弾くじゅんのすけさん。
イナヅマ、ペルソナ・プロムナード、ふっかつのじゅもん、The Flag Song……激しいギターソロに血が沸き立つ感覚は、最高に「ライブ」を感じる瞬間のひとつ。

茶目っ気を感じるお気に入りのプレイもたくさん!
いいのに間奏部のクラップとのやりとり。
Glitter2番「五里霧中をさまよっていく」の後ろで下降しているメロディ。
Porter2番「歌は世に世は歌につれづれ」のときのティキティキ。
足をばたばたして弾くソーダのソロ。
Amberのラストフレーズ。(無事弾けたあとの安堵の笑顔も最高だった)
Amberといえばアコースティックバージョンのイントロも可愛いんだよなあ……。
浮世パスポートのノスタルジックで抜け感たっぷりのエレキもすぐ大好きになったよ。

情感たっぷりのギターもたまらん。
縁会1曲目の茜色の群青はただただすごかった。
整番は当時のじゅんちゃんの年齢と同じ数字。あまりの近さに緊張で顔が見られなくて、ついつい目の前のギタリストの手元ばっかり見てしまった。速いピッキング、キュイーンってスライド、ゆらゆら揺れるネック、泣いてるみたいなギターソロ。どきどきしながらその顔を見ると、目をぎゅっと閉じて眉根に皺を寄せて、曲の世界に没頭していた。大サビ前にエフェクターを踏み込む瞬間もよく覚えている。
普段あまり好んでバラードを聴かないのだけど、じゅんちゃんが魂こめて演奏する姿にぐっと惹き込まれたあの日から、茜色の群青はお気に入りの曲になった。


愛してやまない下弦の月を書いてくれたことにもめちゃくちゃ感謝している。疾走感あふれるはち切れそうな名イントロ、すぐ心を鷲掴みにされた。
上がったり下がったり不安定に揺れる心。真夜中の情欲。ほんの少し身に覚えのあるいつかの夜を、無邪気でせつない恋人たちの曲に重ねてしまう。明るくて哀しくて溢れちゃいそうなあのメロディを聴くと、毎度胸がひりひり痛くなる。大好きな曲。


以上  推し・黒田隼之介さんの推しポイントを、思いついた順につらつらと。
きっと言い忘れていることはまだたくさんあるから、思い出したらどんどん追記しちゃうかもしれない。好きです🫰

大好きなくせに、「こんな気持ち悪いファンを認知しないでください……わたくしめが好き好き言うことで不快な気分にならないでください……」っていう卑屈なメンタルが邪魔をして、リプライも当たり障りのない内容しか送れなかったし、DMなんてぜったい無理だった。ファンレターなんて発想すらなかった。うーん、根暗ァ!
こういう状況になって、ようやく本当の思いをことばにしているまぬけな私。あーあ。
大事な事は言葉にしなきゃな。何気なく聴いていた「わすれもの」のサビのフレーズが、ちょっと耳に痛い。








じゅんちゃんがいなくなってしまわれてから、気づいたこと、考えたこといろいろ。


ひとつめ。
自分は間違いなく「じゅんのすけ推し」だと思っていたんだけど、それ以上に「sumika箱推し」だったということ。


チケットを発券するとき
「今日はじゅんちゃん側だ〜っ!ふっかつのじゅもんで撃たれちゃうなあ困ったなあ♡」
ってにやにやするのも私の中のライブのわくわくのひとつ。ライブ中、あの1等賞の笑顔や、汗をかいて激しいギターを鳴らす姿を多めに目で追ってしまうのが癖になっている。

「じゅんちゃんのいないライブなんて考えられない。いったいどこを見ればいいの」
3人でステージに立つsumikaを思い浮かべて寂しい気持ちでいっぱいになったし、ライブに行ったって楽しくないかもしれない……って一瞬考えた。

でも、世界一のギタリストを失ったsumikaが、そのまま歩みを止めてしまう世界を想像することのほうが、もっともっと苦しかった。
3月7日に発表された片岡さん、荒井さん、おがりんのコメント。sumikaとして歩いていきたいという言葉に、どうしようもなく安心している自分を見つけたんだ。やっぱりsumikaが好き。

私はsumikaだけど、sumikaは私じゃない。

2月24日の夜、家に帰ってまっさきに開いた秘密本のじゅんちゃんのパーソナルページ。じゅんちゃんが思い描くバンドの本質のお話、とても印象的でよく覚えていたのだ。
どうしたってsumikaのギターはじゅんちゃん以外考えられない。だけど、じゅんちゃんの言葉を思い出してからは、sumikaのこれからの変容を不安に感じるのはやめることにした。私の知っているsumikaはとても柔軟なバンドなのだ。
じゅんちゃんがいないステージに途方もなく寂しくなっちゃうんだろうけど、それでも、じゅんちゃんからもらったものを全部もって進んでいくと決めたsumikaを、最後の最後の最後まで愛し抜いていきたいと思うのです。


ふたつめ。
じゅんちゃんを失った寂しさや心の痛みとは、きっとこれからもずっと付き合っていくだろうということ。これは決してネガティブなことではないということ。

あの悲しい知らせを聞いてから、これまでの自分の人生の中の、たくさんの別れを思い返してみた。予兆なく急逝した家族。ある程度心の準備をして看取った人たち。一生を約束した相棒と、一生会わない約束をした日のこと。いろいろなかたちで大切な人との「永遠の別れ」を経験してきた。泣いて泣いて泣いて、あの日々をどうやって乗り越えたんだっけか……って思い返してみたけど、頑張って乗り越えたっていうよりは気づいたら大丈夫な時間が増えていくって感覚だったように思う。大丈夫と思ったらまた不意に涙が溢れるのを止められなかったりもする日もあったけど。それでもやっぱり、いつの間にか大丈夫になっていくのだ。

失った人たちのことを思うと、虚しいようなやるせないような気持ちになる。お別れをしてから何年も経つのに、「もしも今も一緒に過ごしているとしたら」なんて、もうどうにもならない妄想に耽るときだってある。
でもちぎれるような苦しさはもうなくて、その人たちとの日々のことを穏やかに思い出せる。(ほんのちょっと寂しさを感じつつ。) 楽しかった時間も憎たらしかったときもひっくるめて、もらったものを愛おしいと思う。今の私が在るのは、彼らと過ごした日々があるからなんだなあ……とありふれた言葉で雑にくるんで、懐かしむことができている。

じゅんちゃんを失った悲しさは今はまだまだ生傷で、胸が苦しくなる日もたくさんあるけど……。時間といろんな優しさが私を大丈夫にしてくれるって信じている。4人のsumikaの音楽を、これからのsumikaの音楽を、自然体で聴ける日がちゃんと来るはずだと確信している。




みっつめ。
sumikaを通して、大好きな人がたくさんできていたということ。

ギターヒーローの訃報を受けて、いくつかのLINEのトークルームが動いた。縁会で連番して仲良くなった友達に、テンテンファイナルに共に参戦したばかりの仲間。一緒にsumikaのファンアートを描く友達。
私含めみんな動揺していて、短文のレスが続いた。ショックを受けていた。わけが分からないとか信じられないとか。整理のついていない気持ちを言い合える場があることがありがたかった。
悲しい、悲しいって何度も繰り返した。悲しいけど、自分の日常をちゃんとやろうとも約束しあった。仲間がいることが心強かった。

SNSで仲良くしてくれているお友達の中には、あの日からタイムラインに一切現れない方もちらほらいて。どうにもならない苦しさに押しつぶされてしまっていないかなって、めちゃくちゃ気がかりに感じているけれど……。

悲しい気持ちを処理するのに必要な時間も、そのやり方も、人によってさまざまなのは理解しているつもり。私は苦しいときに人に話を聞いてもらうことで気が楽になるんだけど、人と距離をとることで心が安らぐ人もたくさんいらっしゃるはずで。

sumikaの「それぞれがそれぞれのペースで向き合って、そしてまた元気な姿で再会できることを願っています」ということばの優しさが沁みた。


こんな心もとない状況に陥ってしまったときに、手を繋いでいたいなあと思い浮かんだ顔がたくさんあった。失いたくないなと思う縁もたくさんあった。
またいつか、どうか、大好きな人たちとsumikaで待ち合わせができたらいいなと願っている。







3月7日からこの記事を編集し始めて、早2週間以上。

なるべく自分のこころに近いことばを選びたいなあって思って、書いては消し、また書いて。
そんなことをやっている間にも、自分のこころは微妙に形を変えてゆく。

先日やっと読んだMUSICAの鹿野さんの追悼文、たくさんの愛に溢れたことばに切なくなった。
それと同時に、雑誌の中のお写真のじゅんのすけさんは相変わらず超絶ベリベリキュートな笑顔だったから、私もこれまでと何も変わらずにやにやでれでれしてしまった。
3人のsumikaを見ても、もしかしたらピンと来ないかもしれないな。

特にまとまらない感じの、長い長い文章になってしまった。3月25日、ビルボード横浜に行く予定だった今の私はこんな感じです。



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