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たまや~!江戸の夜空を彩る花火は、徳川吉宗公による願いの歴史だ

ついに夏が始まった。キンキンに冷えた部屋で浴衣を着ながらビールやサイダーで乾杯するのも一興だ。夏の風物詩といえば、海・祭り・花火あたりが思いうかぶ。東京でもっとも早く開かれる花火大会「足立の花火」が7月20日に開催予定であったが悪天候により中止となった。

気まぐれな雨雲が期待に冷水を浴びせ、花火会場付近で落胆とともに引き返すこととなったのだが、はしゃぐ子供たちは花火が中止と知りながらも、「たまや~!」と叫び散らかしている。都電荒川線の熊の前駅から三ノ輪橋へ向かうあいだ、「たまや」について調べてみた。

「たまや」とは、花火の製造・打ち上げをデザインする花火屋さんのことで、屋号を「玉屋」という。花火玉をつくる職人を従え会場で打ち上げるのだが、「玉屋」のほかにも有名な花火屋さんに「鍵屋」がある。たまや~!かぎや~!という掛け合いは花火師への称賛なのだ。

500年ほど前にあたる1543年、ポルトガルから鹿児島県の種子島に火薬が輸入された。いうまでもなく軍事転用され、火薬は鉄砲玉に汎用されたのだが、いつの時代にも天才はいるもので、人にむけて打つのではなく空へと放たれたことが「花火」としての一歩目であろう。

300年ほど前にあたる1732年には、稲に寄生するウンカという害虫が大量発生したことで、米の収穫が大幅にできなくなった「享保の大飢饉」と、「コレラ」などによる疫病の蔓延で、日本全体が大惨事に見舞われたとされている。

日本を駆けめぐる災難をとどめたいという徳川吉宗の願いは、「花火」というかたちで江戸の夜空をデザインした。やがて花火師による腕の競い合いとなり、民衆の団結と希望を象徴する行事としてまるっとまとめたのが「両国川開き」で、今でいう「隅田川花火大会」のことだ。

隅田川花火大会では「玉屋」と「鍵屋」がそれぞれの華を火薬でデザインし、見物人は好みの花火屋の名前を声にして人気を競い合った。きっと心のざわつきを抑えきれずに外へ溢れだす江戸っ子としての粋なのだろう。たまや~!と心で唱えながらカメラレンズを覗くとしよう。

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