MCバトル その2

2003年のB-BoyパークMCバトル。私は香港から一時帰国して久しぶりに現場に足を運んだ、たしか予選も決勝も川崎のクラブチッタだったと思う。
MCバトルも5回目を迎え、また前年の決勝戦の試合もWinnyで見れられた事もあり、予選参加者の数も一気に増えてたしか250名越えになった。運営側もタイマンでの予選ができる数でもないことから、初めての4名同時予選となりバトルというよりショーケースになっていた。ただし、予想通り、味噌もクソも一緒のような状態で、ただガナるだけとか、横の奴の文句言うだけとか、なんのスキルもなくただ目立ちたいだけで出る様な確信犯も多くいた。この方法が発表されるた段階で客からもスキルある出演者側からも不穏な空気となり、客席からはかなり大きなブーイングが出ていた。予選の段階でうまく運営できてない事は明確であった。勝敗は2名のジャッジが4色の旗を持っており、2本の同じ旗があがれば、つまり、2名のジャッジが共に同意した者のみ通過となるので、大体の試合で全員不合格、せいぜい1名通過、2名通過などほぼなかったと思う。その予選第一回で64名ぐらいまで減らして
からタイマンのバトルとなり決勝進出14名を決めた。予選の段階でかなり混乱があったままで翌日の決勝を迎える。ちなみに私の相方は予選2回戦で岡山の地方B-Boyで少し名が知れていた、Youthに負けた。翌日一緒に見に行った。

この年はガリヤのMC Q、MSC、妄、のちのダメレコ勢(たしかKENとかカルデラとかもでてような)、韻踏、サ上など所謂、当時の次の世代が出場していた。またHibikiが主催してた2001年とか2002年の決勝進出者の寄せ集めRevolution Crewとかもいて、当時シンペイタとアイスバーンはその括りにいたと思う。
この年優勝した外人21瞑想は、スーパーダークホース。名前からして味噌糞の糞のほうと誰もが思っていたが、予選の一つ一つで爪痕を残し、そのエンタメ力は翌日の優勝のフリにさえなっていた。シリアスで殺伐とした空気のなかでひたすら、それらを茶化す様なディスをしながらも威圧に一歩も引かずにハイテンションで知的なメッセージと押韻とフローで他を圧倒した。
実際当時の外人21瞑想の即興を聞いていると未来人かというほどのスキルとエンタメ力である。ちなみに彼はハワイから一時帰国中で、優勝後はまたハワイに戻ってしまい、メディアにもあまり出ずに凄まじいプロップスと期待値と商品の大量のチュッパチャップスを持ってたった2日でシーンから消えてしまう。

当日の決勝戦はすでに伝説化されておりWikiにも出ていますが、私はやはり司会者が宇多丸さんからRYUに変わった事が混乱の全てと思っております。
つづく。


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