普通 という言葉を考える

普通においしい、普通にやばい、普通にむかつくなんて言葉が最近の若年層の方によく使われているのを見ていて、年寄どもや有識者たちは普通に〇〇に違和感を感じてるっていうふいんき(なぜかへny があるなって。

「普通」って意味をネットで調べてみた。

--いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持ってはいないさま。
 「―の状態」--

ほう。

「いつどこにでもあるような」ということは自分が生きている認知できる範囲が大前提じゃないのかということが考えられるのかなと。

コミュニティの範囲内の中で起きていることが普通。それ以外が普通じゃないっていうことなのかな?

そう考えると確かに若年層と高齢層でギャップがあるのはわかるな。

だとすると、普通の概念は自分が見ている範囲であって、見えていない範囲は普通に含まれないってことだから、視野のレベルが同じでないといけないということが大前提で、若年層が使う普通も高齢層が使う普通も概念は同じで、視野の範囲の問題が、若者があーだ、年寄はこーだ、っていう齟齬が生まれているんだろうなって思っちゃったなー。

要は、身内ノリを発信したってわからねーよって話なんだろうなって。

それじゃあギャップは埋まらないから、普通=常識って考えているような若年層と高齢層はいつまでも分かり合えないんだなーっていうのが世の中の心理なのかもって思っちゃったから、常識っていう言葉を次に考えてみようと思った。

※思ったことを調べながら書いているんで、支離滅裂感はあります。これを書こうと思ってい書いていないのでごめんなさい。

--常識(じょうしき)は、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと。 また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。 社会通念ともいう。 対義語は非常識(ひじょうしき)。--

おぉ、、、社会を構成する上で ってきた。そうかぁ、ここで常識っていう言葉は「社会」が出てくるんだ。それに加えて知識と判断力も備わってくるから、高齢層が持っている知識とかそれをもとにした判断っていうのが備わってくるから、社会を前提とする常識=自分のコミュニティの中の普通はイコールに値しないってことか。

そう考えると、やっぱり社会の常識にのまれていくか、それとも社会の常識にのまれたうえで自分のコミュニティである「普通=常識」を「自分が思っている普通」に変えていく力を持つかっていう2パターンしかなくなってくるんだろうなって思っちゃった。

この意見に関しては若年層より、高齢層(中年層も)の意見のほうが正しいんだろうなって思ったなぁ。

でも、若年層はいずれ高年層になるから、これは一生解決できない問題なのかもしれないね。

大変だよね、じぇねぎゃって。

アディオス。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?